あの日を境に

巨大災害によって人生が一変した人々の群像劇

(34)遺体安置所へ~氏家悠吾の奉職

 

 S町は高台を中心に、いくつかの集落が沿岸部に点在する。寄り集まっていた方が何かと都合が良いのだろうが、海沿いには硬い岩盤の峰がいくつもあり、その峰を避ける形で低地に家々が建てられていた。

 

 津波はこの峰々までは砕けなかったようで、地形が変わることはなかったが、そのため峰々のふもとには大量の津波堆積物があった。住宅のがれき、なぎ倒された樹木、車などが流されてきて、津波が引くとともに、その場に残された格好だ。

 

 惣一とカツは、そうした車の下で見つかった。発見した警察官が、被災車両の撤去に当たっていた県に連絡し、車をどけてもらう手続きを取ってくれた。氏家にはどういう原理なのか分からなかったが、打ち寄せられた車が波の力で縦に積み上げられたようになっているところもあり、そのままでは崩れる恐れもあって、一度車を脇に避ける必要があった。

 

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 遺体発見の翌日、県職員が現地にやって来た。どこかの都道府県だかの応援で寄越されたというレッカー用の重機を持ってきていて、クレーンの先にマジックハンドのような巨大な治具が据え付けられていた。運転手がクレーンを操作し、慎重に車を持ち上げていく。1台、2台、3台目をどけたところで、惣一たちの背中が見えた。

 

 氏家が父と一緒に駆け寄る。話に聞いていた通り、二人は折り重なるようにして一緒にいて、氏家は再び目頭が熱くなった。

 

 惣一は多くを語る男ではなかったが、氏家が中学に上がり、好きな女子生徒ができたことを打ち明けると、カツが惣一との馴れ初めを話してくれたことがある。

 

 今と違って世界がまだ狭かった時代のこと。二人は峰を挟んで隣り合う集落に生まれたが、年齢が七つ離れていたこともあって、学童として出会うことはなかった。そんな二人の初対面は考えうる限り、最悪だった。カツが15歳になった頃、家の手伝いで隣の集落ーー惣一が住む集落の親戚宅を訪ねた際のことだったという。

 

 12月に入り、雪が積もった寒い朝だった。カツが隣の集落から峰を登ってきて、親戚側の集落へと降りていくらも歩かないうちに、急に足が沈んだ。道路端にあった肥溜めを踏み抜いてしまったのだ。通常、肥溜めの上には、それと分かるトタン製の傘が掛けてあるものだが、この日は雪の重みで倒れており、辺り一面真っ白になっていたこともあって道路かどうか分からなくなっていたのだ。

 

 肥溜めなど見掛けない現代では理解できないことだが、当時はままあったことだそうだ。幸運なことに右足だけで済んだそうだが、うら若い乙女が御遣いの途中に糞尿の臭いを撒き散らすことは耐えられなかろう。カツが誰にも出会わないうちに退散しようとしたところに、早朝の漁を終えて海から上がってきた惣一と出くわした。

 

 惣一、当時22歳。男ぶりもよかったそうで、そんな若衆に羞恥の極みとも言える場面を見られたことでカツはしゃがみ込んでしまった。一目見て状況を察した惣一は、カツの手を引いて海辺へと取って返し、自分の舟に乗せてあった手桶で海水をすくって汚物を洗い流してやった。当時は漁の後に薪をくべ、暖を取る習慣もあったことから、燃えさしに再び火をつけ、かじかんだ右足を温めてやったという。

 

 その間、惣一は無言だった。それが逆にカツの心に響いたようで、何も言わずに恥部をなかったことにしてくれる男気に惚れ、以後、暇を見つけては隣の集落に顔を出すようになっていった。

 

 「あいなんでは、何しゃべったって、傷つけっぺ」。惣一は氏家が話を向けても、それ以上を語らなかったが、口数が多ければいいというものではないと学んだ。むしろ、黙して語らず、結果で示す男になりたいと思ったものだ。

 

 その惣一が、カツと一緒に変わり果てた姿で見つかった。氏家が見た、あの津波の黒さは海底から巻き上げられた泥が原因だったのか、二人は髪の毛から爪先まで泥だらけだった。一緒に流された物で傷ついたとみられ、擦過傷も至る所にあった。

 

 次から次へと涙があふれてくる。人は悲しいと、声もなく、涙だけが流れ出る。傍らにいた父も同様で、辺りには鼻をすすり上げる音だけが響いた。駆けつけてくれた県職員も、車を持ち上げてくれた業者も、もらい泣きしていた。

 

 「お気持ち、お察ししますが、ここは冷えます。仏さんも、ここじゃ浮かばれない」。見守っていた警察官が、氏家と父に声を掛けた。遺体安置所に運ぼうと提案する。むろん、否やはなかった。

 

 この遺体安置所で、氏家は人生を左右する人物に出会った。

 

(続)

 

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(33)折り重なる二人~氏家悠吾の奉職

 

 コンクリート製の基礎とカーポートの柱の残骸。氏家の自宅には、それしか残されていなかった。自宅「跡」と言ってよかった。

 

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 氏家宅だけではない。同級生の吉井の家も、ほかのご近所さんのところも、住宅と呼べる建物は根こそぎなくなっていた。鉄筋コンクリート造の漁協事務棟だけが、かろうじて原型を留めていた。もっとも、あの漁船が2階部分に突き刺さったままで、地上から見上げる位置に船底があるという、何とも不思議な光景が広がっていた。

 

 「戦争でもあったみてえ。戦争、知らねんだけど」。高台から一緒に降りてきた吉井が軽口をたたく。普通、こういった場面でのおふざけは眉を顰められるものだが、吉井の表現が最も適切に思えた。何もかもが変わってしまっていて、本当にここが生まれ育った場所なのかと思った。

 

 「兄ちゃん、父ちゃんと母ちゃんだ」と、伴ってきた弟が袖を引く。見ると、父母がそれぞれ、町道を自分の車でやって来るところだった。辺り一面、何もないので自宅の場所が分からなくなってしまったようだ。手を振り、合図をした。

 

 「悠吾、無事だったが! いがった!」

 

 父が開口一番、兄弟の身を案じたので、ああ、これはやはり現実なのだ、と強く思い知らされた。目覚めたら卒業式の日の朝だったーー。そんな夢オチを期待する自分がいた。人間、途方もない事態に巻き込まれると思考が停止し、脳が巻き戻しスイッチを押すのかもしれなかった。

 

 聞くと、両親とも氏家の卒業式を終えてS市の会社に戻ったところで被災し、そのまま会社に足止めされていたという。比較的被害が軽微だったS市中心部は携帯電話がつながったようで、両親は互いに連絡がついたが、海沿いのS町には全くと言っていいほど連絡がつかなかったそうだ。

 

 当然だ。家が、ないのだから。まだ小中学生の氏家兄弟は携帯を持っていなかったし、「オラだづは携帯、『不携帯』だがんな」が持ちネタの祖父母は本人たちの行方さえ分からない。

 

 「なに、じいちゃんとばあちゃん、どごさいんだが分がんねのが?」。父が氏家の肩を揺する。氏家は、漁船を持ち上げて事務棟に突っ込ませるほどの津波が襲ってきて家も呑み込まれたこと、その後は中学の教室に弟と一晩泊まったこと、夜が明けると家がなくなっていたことを伝えた。

 

 避難所に、惣一とカツは来ていなかったことも。

 

 父はしばらくの間、うつむいて何事か考えていた。氏家の肩を両手で掴んだままだったので、「父ちゃん?」と呼び掛けたが、反応はなかった。そのまま、3分ほどだろうか、身じろぎもしなかったが、意を決したように顔を上げ、涙目で家族に告げた。

 

 「安置所さ行ってみっぺ」

 

 吉井とはそこで分かれ、父の車に母と弟、氏家の4人が乗って安置所に向かった。母の車は自宅まで来る途中、がれきの中に含まれていた釘でも踏み抜いたのか、パンクしてしまっていた。

 

 高台の一角にある町営ホールが仮設の安置所になっていた。普段、催し物が開かれる会館は警察や消防、自衛隊の車両がひっきりなしに出入りし、物々しい雰囲気に包まれていた。泥まみれの彼らは黒いバッグを次々と運び込んでいく。明らかに人型をしていて、何が入っているかは一目瞭然だった。

 

 後に分かったことだが、震災の発生間もないこの頃は、まだ遺体の身元はもちろん、照合する帳簿も何もなかった。係員に人相風体や居住地を告げ、探してもらうくらいしか方法がなかった。それでだろうか、この日は惣一とカツを見つけることはできず、4人で避難所となっていた中学校に身を寄せた。

 

 「じいちゃんとばあちゃん、どこかにいるってことだよね?」。まだまだ幼い弟が、希望的観測を口にする。「そうだな。そうに決まってる」と氏家。母は同調してくれたが、父は何も語らなかった。

 

 自宅は二階から釣り糸を垂れることができるほど、海の目の前だ。すぐそばを町道が通っているとはいえ、祖父母はかなり前に車を手放していた。バスは1時間に1本走っているが、地震の後に運行していたかは甚だ疑問だ。自転車に乗ることはあったが、1台しかない。2人を取り巻く環境が分かっているだけに、厳しい事態に直面していることは否めなかった。

 

 そのまま6日が過ぎた。父と母は毎日のように安置所に通っていたが、祖父母は見つからなかった。むろん、どこの避難所にもいない。この頃には、行方不明は死と同義になりつつあった。諦めが氏家たちを支配していたが、口にはしない。どこかで、やはり生きていてほしいと強く願っていた。

 

 1週間目の3月18日、二人は遺体となって発見された。自宅から30メートルと離れていない場所で、津波に流されてきた車の下にいるのを、救助活動に当たっていた警察官が見つけてくれた。

 

 猛烈な勢いの濁流に巻き込まれただろうに、惣一が右手でカツの右わきの下に手を入れる形で、二人は折り重なるようにして一緒に倒れていたという。戦中派にしては珍しく、二人が恋愛結婚だったことを思い出し、氏家は右腕で顔を覆った。嗚咽が止まらなかった。

 

(続)

 

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(32)自宅の流失~氏家悠吾の奉職


自宅に向かって駆けだそうとしたところで、左腕を掴まれた。先ほどまでダベっていた友人の一人、吉井だった。

 

「どこ行く気だ。見て分かんだろ。降りてったら死ぬぞ」

 

吉井の言うことは分かる。真っ黒い津波は漁船だけでなく、海辺の住宅や木々をもなぎ倒し、氏家らがいる高台へと迫っていた。2階建ての漁協事務棟に漁船が突き刺さるということは、津波高はゆうに10メートルはある。今いる場所は事務棟より20メートル以上は高いので大丈夫だろうが、海辺に降りることは死に直結するだろう。

 

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ただ、事務棟の近くには氏家の自宅がある。午後4時前の今頃は、いつもなら祖父母が昼寝から起きだしてくる頃だ。


「じいちゃんとばあちゃん、見捨てろってか!」

 

 氏家が左腕を振りほどくと、吉井は頷いて「お前んちのことは分かってる。でも、無理だろ。よく考えろ」と続けた。吉井の家も氏家宅のそばで、確か祖母がいたはずだ。緊急時にも冷静さを失わない竹馬の友に、頭が下がった。

 

「あの揺れだ。普通に考えて、避難してるはずだろ」と肩を抱いてきた吉井の考えにすがり、氏家は、二人を見捨てるのではないと自らに言い聞かせた。確かに、地震から津波まで50分くらいの時間があった。惣一とカツも逃げたはずだ。そう信じ込むことで、氏家は気持ちを落ち着かせようと試みた。


吉井に促されて戻った体育館には、既に大勢の町民が避難してきていた。ほんの2時間ほど前まで、子どもたちの旅立ちを見守るスーツ姿の保護者が居並んでいたのに、今は着の身着のままで逃げてきた老若男女がひしめき合っていた。聞くと、道路向かいの小学校も、隣接する町役場の1階や議会棟も人でいっぱいだという。

 

氏家は人波をかき分けて祖父母の姿を探した。中学側にはいない。小学校の方にもいなかった。次第に焦りが募る。小学校の体育館にいた弟を連れ、役場に向かったが、こちらも空振りに終わった。冷たい汗が背筋を伝う。「氏家惣一とカツはいませんか!」。議会棟に飛び込み、大声で叫んだが、返答はなかった。

 

弟が氏家以上に顔を曇らせ、涙をこらえているのが分かったので、額を小突いてハッパをかけた。「大丈夫。じいちゃん漁師だぞ。津波なんてきっと乗り切って、どこかにいる」。弟に向けて放った言葉は、自らを鼓舞するものでもあった。

 

結局、その日は中学の自分の教室に身を寄せた。もう来ることもないだろうと思って卒業式に臨んだのに、小学生の弟も一緒にまた戻ったことに違和感があった。そうは言っても、暗くなって海沿いが見えなくなったことで安全性が確認できなくなったし、津波が再び来ないとも限らない。役場と相談した教師陣が学校に留まるよう指示したのだった。


教室に泊まるのは、もちろん初めてだ。仙台に働きに行っている両親とも連絡が取れない。停電のため真っ暗闇の教室の雰囲気も相まって、氏家は惣一とカツのことを考えて胸苦しくなった。チョークの臭いが鼻につき、訳もなく白墨が憎たらしかった。


まどろむことさえできないまま一夜が明けると、高台から見下ろす海沿いに、衝撃的な光景が広がっていた。

 

家が、なかった。

 

(続)

 

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(31)突き刺さる漁船~氏家悠吾の奉職


その日、中学の卒業式を終えた氏家は3年も通った場所を離れがたく、式があった体育館脇で級友らと無駄話に花を咲かせていた。輪の中にいる連中は、高校から別々になる者も多い。中学というより、地元を離れるような気分になっていたのだろう、1時間以上は残っていた。

 

そんな感傷が、氏家の身を助けた。


突然、体育館に至る通路に設置してあった木製の渡り廊下が縦に揺れた。氏家は最初、誰かがいたずらで渡り廊下の端を踏み、てこの原理で持ち上がったのかと思ったが、続く横揺れでただ事ではないと察した。「伏せろ!」。誰かが叫び、皆でうつぶせになって手で頭を守った。

 

「ボン!ガラガラガラガラ!」

 

揺れが続く中、氏家からは死角になっている体育館の壁の裏の方向から、途方もない爆音がした。「ズン!」。さらに、何か巨大な物が崩れ落ちる音もした。女子生徒たちが悲鳴を上げ、氏家ら男子もおののいた。


地震が収まった後で音がした方を見に行くと、体育館のコンクリート壁が割れ落ち、鉄筋がむき出しになっていた。「こっち側でダベってたら、つぶれて死んでたな」。同級生の一言で想像力がいや増し、氏家はひしゃげた鉄筋を見ながら背筋を凍らせた。

 

そこにサイレンが鳴り響いた。氏家らは辺りを見回したが、学校の校内放送ではないようだ。とすると、後は隣接する町役場の放送しかない。これが避難訓練の時に役場の職員が話していた緊急放送か――。経験したことのない状況が続き、氏家の心臓も早鐘のように鳴り響いた。


「津波警報が発令されました。海沿いにいる方は高台に避難して下さい。役場付近にいる方は、そのまま動かないでください」

 

役場の女性職員だろうか。やけにゆっくりとした話し方の声が、帰宅しないよう求めた。氏家らが住む、ここS町は、役場や学校といった行政、文教施設が高台にあり、その高台を囲むように住宅地が点在する土地だった。

 

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「帰るなったって、もう帰っちまった奴らの方が多いんでね?」。別のクラスメートの意見に氏家も頷いたが、緊急放送が告げる通り、津波が来るのならば留まっていた方が正解だ。目算だが、学校周辺は氏家宅より二十数メートルは高い。9年間、毎朝、あれほど呪った劇坂が、この時ほど頼もしく思えることはなかった。

 

「しまった!弟!帰っちまったかもしんねー」


氏家は道路向かいの小学校に通っている弟の存在にハタと思い至り、見に行くことにした。「大丈夫だって。津波ったって、いっつも、ちょこっと波が高くなるだけだっちゃ」と級友の言葉が追い掛けてきた。

 

確かに、いつもは警報が出ても津波高は数十センチで心配損だったが、この日ばかりは嫌な気がした。体育館の壁が崩れ落ちたのを目にしたばかりだったかもしれない。小学校側へとダッシュした。


「おっ、お前、兄ちゃんお迎えじゃん」。3年前まで慣れ親しんだ校舎に入ると、弟は友人と一緒だった。小学校もこの日、6年生の卒業式で、送り出す側だった弟もセレモニー後の片付けに駆り出されていたようだった。氏家は大きく息を吐き出し、警報が解除されるまで校舎にいるよう弟に言い含め、中学校側に戻った。

 

小学校から中学校へと、町道を渡ろうとした時だった。町内で最も見晴らしの良い場所で、晴れた日には遠くに風光明媚な松島の群島が見えるのだが、その松島よりも南側、太平洋の方向から大量の波が押し寄せてくるのが見えた。


波頭こそ白いものの、海にいつもの青さはなく、強いて言えば真っ黒だった。それがテトラブロックを越え、岸壁を呑み込んだかと思ったら、漁港内の海水がまるで漫画のように数メートル持ち上がり、係留された漁船を浮き上がらせた。津波はその漁船ごと上陸。漁協事務棟や付近に停めてあった車にぶつかっていった。

 

「ヒッ」

 

 漁船が事務棟に突き刺さる様子を目撃し、氏家は小さく悲鳴を発した。事務棟の3軒隣が、氏家の生家だった。

 

(続)

 

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(30)海沿いの生家~氏家悠吾の奉職

 

「お疲れさまです。失礼します」

 

氏家悠吾は校舎入り口のソファに座っていた来校者の前でピタッと立ち止まり、帽子を取って頭を下げると、一拍置いてすぐ、小走りで体育館に向かった。坊主頭にジャージー姿。これから体力の錬成の課程で、今日は10キロ走が行われる。

 

氏家は県庁所在地S市の南隣、N市にある警察学校に在籍している。福島県の大学を卒業し、そのまま入校した。丸坊主はもちろん、初日に携帯電話まで取り上げられて、軍隊式の声出しからスタート。無理やりスイッチを切り替えられるような前時代的やり方が規律を重んじる警察らしく、ますますやる気が漲った。

 

1週間後の入校式には、背筋がピンと張った青年に変わっていた。「警察官は立ち姿が美しくなければならん」。教官の持論というより、警察全体の考えのようだった。「じいちゃん、ばあちゃん、俺、頑張るぞ」。氏家は学生代表の宣誓を耳にしながら、警察を志すきっかけをくれた祖父母に心の中で誓った。

 

氏家は1995年、S市の東に位置するS町に生まれた。町役場や小中学校といった中心街は小高い丘の上にあり、丘を囲むように大小さまざまな集落が海沿いに点在する町だ。電力会社の発電所が海沿いにある程度で、地場産業は漁業ぐらい。多くの大人はS市に職場があった。

 

祖父母と両親、弟との6人暮らしだった氏家は、両親がS市内で共働きしていたこともあり、祖父母に育てられた。

 

祖父の惣一は元漁師。年を取って引退したが、ノリの養殖を長年手掛けてきた。海の男らしく豪放磊落な一方、礼儀作法には滅法うるさく、目上の人間に対する態度が悪いと、よく殴られた。長年、養殖いかだやロープをたぐってきた両の腕は丸太のようで、手が出る時は「ブン」と腕を振り回す音が聞こえたものだ。いきおい、氏家は礼儀正しい少年になった。

 

祖母のカツは反対におっとりした性格で、「悠ちゃんは稼ぐねえ」が口癖だった。子ども時分のこと、もちろん氏家に収入がある訳はなかったが、風呂掃除や配膳の手伝いなどをすると決まって、そう言われた。茶碗を落としても「大丈夫がい?」と氏家の体を気遣う人で、怒ったところは見たことがなかった。剛の惣一に柔のカツ。人間とはうまくかみ合うものだと、子供心に得心した。

 

そんな二人が常々、氏家と弟に言い続けてきたことがあった。「公務員さなれな」。漁村に生まれ育ち、学問の機会に恵まれなかった二人は、惣一が海の上、カツが家事と子育ての傍ら魚介を売り歩き、何とか生計を立ててきた。それだけに、子弟には勉学に励ませ、余裕のある暮らしを送らせたいという思いがことのほか強かった。

 

礼儀作法やものの考え方だけでなく、遊びも二人に教わった。特に男孫のこと、惣一は氏家にとって格好の遊び相手でもあった。漁師だったこともあって自宅は海に面した場所にあり、2階にある氏家の部屋のベランダから釣りができるほどだった。海を熟知した惣一はさすがに竿使いがうまく、ものの数分でバケツいっぱいの魚を釣り上げることもあった。部屋が魚臭くなるのは叶わなかったが、ほかに大した娯楽もない田舎集落のこと、惣一に教わる遊びが氏家のすべてだった。


刺激は少ないものの、祖父母に見守られ、穏やかでのんびりした子ども時代。そうした氏家の世界は、皮肉なことに慣れ親しんだ海によって壊された。

 

 氏家15歳。中学の、卒業式当日のことだった。


(続)

 

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(29)幕間~江藤美智子の遍路道


ああ、わざわざお出でいただいて、すいませんでしたね。江藤と申します。東北(新聞)さんの、おっ、次長さんですか。

 

よく私がここに勤めてることが分かりましたね。前職とまるで畑違いでしょ。スーパーマーケットチェーンですよ。え?蛇の道は蛇?さっすが、ブン屋さんは違うわ。後輩たちが口を滑らしたんだなあ、さては。

 

んでも、ブン屋さんと話すのは楽だし、ざっくばらんに言えるから楽しいですよ。警察時代に勝手知ったる感じっていうかなあ。全国チェーンの大手だからね、事業会社制の東北カンパニーとはいえ、相談役なんて肩書きなもんだからスーツ組は堅苦しいことこの上なくて。東北弁も出ない垢抜けた連中だし。

 

だけどさ、私で良かったんですか?兄貴夫婦じゃなくて?え、あの木製プレートのことじゃないんですか。前進、てやつ。まあ、あれから、もう2年になりますしね。福田さん?福田建設の?はあ、社長さんから聞いてきたんですか。いやいや、おしょすい(恥ずかしい)なやあ。確かに、震災直後は取り乱してましてね。うん、言いました。「現実はいつだって冷徹」ってやつですね。

 

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40年も警察官やってたらさ、そりゃあ色んな現場踏みましたよ。交通事故だって火事だって、時には事件も。現場はだいたい凄惨なもんですよ。時には小説か、ってこともありましたしね。


忘れられないことがあるんです。もう20年くらい前ですがね。朝方に火事があったんです。その日は当直長でしてね。発生があってすぐ、署員を向かわせました。消火して、消防さんと見分やって。80代のご夫婦の家だったんですけど、寝室で二人が折り重なるようにして炭化してました。


でも、おかしいでしょ?普段、別々のベッドで寝てるっていうのに、ばあさんの方がじいさんの上に乗ってたんですよ。近所を聞き込みしたら、じいさん、脚が悪くて普段から寝たきりでした。ばあさん、火事に気付いて起きたけど、じいさん担いで逃げる体力はないと考えて、一緒に死のうって決意したんでしょうね。


すげえ二人だって思いましたよ。でも、それだけでした。その後に火付けだって分かって、しかも被疑者が15歳だったもんですから、そっちに掛かりきりで。なんせ被害者2人の放火殺人事件ですから。帳場はしっちゃかめっちゃかで、逮捕後は人権派弁護士だとかも押し掛けてきて、ご夫婦のことはすっかり頭から抜け落ちてました。


事件送致して検察が立件したら、俺らの仕事は一丁上がりです。近頃じゃ犯罪被害者に寄り添うようになりましたが、あのころはそんなもんないです。それが、犯罪じゃないにしても、身内が被害者、まあ被災者か、この場合。そうなったら、我を忘れちまいました。何のことはない、冷徹さに慣れ過ぎちまって、本質を見失ってたんです。


この前、警察学校で講演させられたんです。震災時の被災地の署長だってんでね。県警に求められるまま、しゃべりましたよ。「指揮官が冷静さを欠いたらいかん」って。でも、福田さんの話を聞いたんでしょう、そんなのウソです。あれで冷静でいられたら、ロボットですよ。

 

 .......。ああ、すまねな。


本当は沿岸さ向がった22人全員、引き返させるべきだった。津波、6メートルだど?んだげっど、次々入ってくる情報さ混乱すて、抜げっちまってだ。そすたら6人と連絡取れねえど。中には孝則もいるんだど。何もかも吹ぎ飛んださあ。30年以上、見できた甥だがんな。俺には男の子できねがったから、息子みでな気ぃすてだんだ。そいづば、俺が殺すたようなもんだべ。俺が戻れって言ってだら、戻んだおん。警察じゃ上の命令は絶対だがんな。分がってだはずなんだ。んでも、俺はあん時と同じで、被疑者ばっかし、津波ばっかし考えでだ。被害者さ忘れった。ひとっつも冷静なんかでばねがったんだ。何が警視だ、署長だ。身内1人も守れねで。


なのに、俺はウソばついだんだ。目ばキラキラさせで、県民のためさ頑張んだって肩肘張ってる若者さ。


ウソだらけの講演終わったらや、1人残って、質問さすに来たやづがいだんだ。そいづも、じいちゃんとばあちゃん、津波でやらったんだど。その後、遺体ば運んでけだ警察官に感激したんだどや。そんだがら、自分もお巡りさんになりでんだってやあ…。


そいづの顔、真っすぐ見らんねがった。んだって俺、混乱して甥っこば殺したんだど?んだげど、「現場では常に冷静な判断が求められます」って、はあ。俺はそんないいもんでね。震災の苦難ば乗り切った署長だなんて持ち上げられっけど、右往左往してや、結局何もすねで、6人も見殺すにしたバガでねが!孝則だげでね。乳飲み子抱えでだやづら3人もいだのに、母ちゃんの介護すてだやづもいだのに、4月になったら結婚するやづもいだのに、みんな俺が死なせですまった!


あんだ、不思議な人だなやあ。警察の中さいっとや、肩肘張ってねえどなんねくて、つれがったんだ。んだがら誰さも話すたごどねがった。なんもかんも吐ぎ出したら、スッとすた。

 

 ブン屋さんよ、墓場まで持ってぐ気だったげんと、書いでけろ。何もでぎねがったバガ署長がいだってや。記事さ載れば、まだあった時、後輩だづの反面教師にはなっぺ。オレはもうは、若いやづが死ぬの、耐えらんね。県警はイヤな顔すんべけど、頼むわ。でっかぐ載せでけろ。

 

(江藤美智子・完)

 

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(28)美智子の前進~江藤美智子の遍路道 


 「津波殉職者の『前進』に敬礼」

 

2016年11月、地元の東北新聞に、そんな見出しの囲み記事が載った。写真はI警察署の署長室前。壁面に政彦が木製プレートを掲げ、妻の美智子がその様子を見詰める1枚だ。二人の後ろには大勢の署員がいて、プレートに敬礼する姿が映り込んでいた。

 

記事に書かれた出来事があってから、10日ほどが経過していた。美談だとして、東北新聞を見た他のマスコミから取材依頼が殺到。孝則の犠牲を風化させたくなくて、できうる限り応じてきたが、それもようやく一段落したようだ。

 

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あの日、孝則に「前進」の言葉を贈った上司も駆け付けてくれた。話には何度も聞いていたが、顔を見るのは初めてだった。政彦が「ようやくお会いできました」と水を向けると、上司は顔をくしゃくしゃにし、人目もはばからず号泣した。

 

「私が悪いんです。私が殺したようなもんなんです。前進、前進て、それだけで、前途ある若い命を散らせてしまった。5年間、1日だって江藤のことを忘れたことはなかった」

 

手をついて詫びる上司に、政彦はあえて軟らかい調子で言葉を掛けた。

 

「孝則は警察に入るまで、いわゆる『外のメシ』を食べたことがありませんでした。学生気分が抜けないまま、私の手伝いをしていただけです。あなたが、初めて社会人としての基本を説いてくれた。感謝こそすれ、謝られる理由はないですよ」

 

震災当時、I警察署長だった弟の良彦が上司の脇の下に両手を入れ、立たせる。背中をたたいて、「もう、あれがら、いっぺえ泣いだべ。今日は泣ぐ日でねど。孝則って立派な署員がいだごどを讃える日なんだど。あ、伯父の俺が言うのはおがしいが」と続けた。湿り気を帯びた空気が明るいものに変わるのが分かった。

 

プレートの奥の部屋、署長室には孝則を含め、あの日に殉職した6人の遺影が飾られていた。年齢も階級も、家族構成もさまざまで、中には警察に対していまだに心を開かない遺族もいると聞いた。ただ、政彦は5年たっても毎月、月命日に署幹部を寄越す警察の姿勢に感じ入るものがあったし、弟をなじる気もなかった。

 

「5年経ったとか、7回忌になるとか、数字の上での節目は遺族に関係ないです。今だって孝則がカンナを掛けているような気がして、隣の作業台を見るんです。でも、私たちは生きている。あいつが悪かったんだ、あの時こうしていればって、過去にとらわれているだけでは、私たちまで海に引きずり込まれる。そんなこと、孝則が望んでいる訳ないと思うんですよね」

 

泣き伏した上司への言葉だったが、本当は美智子に向けたものだった。

 

帰路の車中、美智子に水を向けた。


「勝手に話さ進めで、悪がった。うまぐ言えねんだげんと、もう、こごらで終わりさしねが。俺だづもそろそろ、前進さすねが」


新聞記者に感想を求められた時を除き、ずっと黙っていた美智子が口を開いた。政彦に、というよりも、自らに語って聞かせているようだった。

 

「警察署の構造なんて知らないけど、たぶん、あの壁なのよね。涼太がハイハイした、立った、歩いた、って良彦さんに報告に行ってた署長室の壁。あそこを何度も、孝則が笑顔で通っていったのよね。私たちが見たこともない、うれしそうな顔だったって、良彦さん言ってた。今日もあそこにいたのかもね。たぶん笑っていたよね。『母ちゃん、何ずっと暗い顔してんのや』って言われちゃうかもね」

 

                   ♢


翌日、美智子は庭にある物置に箱を二つ、収めた。自分と政彦の白衣と菅笠などが入っている。

 

お遍路はしばらく、お休みすることにした。遍路道はあと半分、残っている。孝則に「中途半端は良くない」なんて言われそうだから、心の整理が付いたら、また出掛けるかもしれない。そのあたりは深く考えず、行きたくなったら行くことにした。とりあえず、義務感で巡るのはもうやめた。

 

「さて、と」

 

 美智子が腰を上げ、母屋に向かうと電話が鳴った。今日は朝から引っ切りなしだ。また、どこかからの取材依頼だろう。孝則はまだまだ、親に楽をさせてくれそうもない。


(続)

 

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(27)「無駄の積み重ね」~江藤美智子の遍路道

 

 木工所に足を踏み入れ、電灯のスイッチを押す。午前5時半。まだ外は暗い。この頃は朝晩が冷え込むようになってきた。政彦が吐く息が白く見える。

 

 東北でも、どちらかと言えば山間部寄りのK市は寒冷な気候だ。近在の農家ではそろそろ、渋柿をもいで焼酎に漬け、干し柿が作られる時期だ。完成に近づけば黒っぽく染まる干し柿も、干した当初はまだ果肉の色を保っていて、政彦は家々の軒先が一斉にオレンジ色のカーテンを吊るしたようになるこの時期が好きだった。

 

 「オレンジ色のカーテン」は政彦の言葉ではない。まだ幼かった頃、一人息子の孝則が口にした。目に映るシーンを独特の言い回しで切り取る、子どもならではの名文句。我が子ながら、うまい表現だと膝を打ったことを覚えている。

 

 「ははっ」。楽しかった時代が昨日のことのように蘇ってきて、思わず笑みがこぼれる。木工所にいると、いつもそうだ。何せ孝則は物心つく前から、自宅の隣にあるこの場所に入り浸っていた。思春期こそは足が遠のいたが、大学を終えると、またここに戻ってきた。今度は自分の居場所として。木工職人として。

 

 作業台も政彦の隣にもう一台置いてある。警察官を志して以降、使われなくなったものの、今では遺品となってしまったこの台を、政彦は毎朝、水拭きしてから仕事にとりかかってきた。今、もう一方の政彦の作業台には、美智子がお遍路に出掛けて以降に丹精込めた木製プレートが置かれていた。

 

 欅の板をいったん磨き上げ、ノミで彫る。文字の形に彫りぬいたら、黒いインクを塗って墨書したように浮かせる。最後に柿渋色に塗装して、完成となる。言うは簡単だが、かんな掛けもノミ使いも、刷毛だって思い描いた通りに動かすのには熟練の手技が要る。18歳から重ねた年季が、老職工にそこいらの細工物とは趣を異にする工芸品を生み出させた。

 

 彫る文字は最前から決めていた。孝則が巡査を拝命し、尊敬する上司からいただいた言葉だ。

 

 伯父の良彦同様、生活安全部畑を志向した孝則だが、新米が最初から希望通りの部署に配属されるはずなどない。I警察署の地域課に属して交番に詰め、まずは警察官としての実務を仕込まれた。酔っ払いの身の上相談から近所の悪ガキの世話、地域の高齢者の話し相手。市井の中にいることこそ、「お巡りさん」の姿こそ、警察官本来の在り方だと叩き込まれた。

 

 法を順守し、悪を裁くーー。尻の青い青年の、そんな理想は吹き飛んだことだろう。最も辛いのは犬猫探しだと言った。今や人間以上に「家族扱い」される犬猫は、特に話し相手のいない高齢者にとって掛け替えのない存在なのだが、肉体的な衰えや物忘れが増える年代とあってつなぎ忘れ、逃げ出すことが日常的にあった。

 

 犬猫愛を滾々と聞かされ、似たような動物の通報があるたびに追いかける。人間よりも俊敏で、大きさからして物陰に隠れることもできるため、ほとんどが空振りに終わる。まれにヒットすることもあるが、一度などは防波堤の上を歩いていたという通報があり、猛ダッシュの末に飛びついたまでは良かったが、一人と一匹は勢い余ってそのまま海にダイブ。帰路のパトカーが塩水で濡れるという顛末が付いた。

 

 「犬猫捜査」に腐り始めた孝則を諭したのが、当時の上司だった。奉職以来、一貫して地域畑だという警部補は、孝則を官舎の自室に招いては語って聞かせたという。

 

 「江藤、無駄な仕事なんて、この世にねんだど。仕事ってのは無駄の積み重ねだ。動物の捜索だっておめ、靴底擦り減らしゃ地域に詳しくなるし、人脈も広がる。んだべ? ものは考えようだっちゃ。すべては前進なんだ」

 

 苦労知らずで大学まで進み、民間の禄を食んだとはいっても実家の家業という世間知らずの若僧には、いたく響いたらしい。「無駄の積み重ね」「すべては前進」。一度ならず、帰省のたびに心酔した様子で語ってくれた。

 

 「前進」。彫りぬいた言葉は墨痕鮮やかで、政彦にしても会心の出来だった。

 

 「兄貴、いいじゃないか。今の署長もこれはたまげるべど」。出来栄えを確認に来た良彦が肩をたたいた。

 

 明後日、良彦の口添えで、I警察署へこのプレートを寄贈しに行く。お遍路から帰宅したばかりの妻美智子を伴って。事前には何も伝えていない。「前進」の文字を見て、感じてほしい。自分たちのこれまでに、無駄などなかったことを。過去に縛られることなく、少しずつ、前を向こうと。

 

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(続)

 

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(26)やすらぎから苦行へ~江藤美智子の遍路道

 

 お遍路は新鮮だった。

 

 何事も形から入るタイプの美智子は、喜々として白衣や菅笠、金剛杖など一式を二人分買い求めていった。行程を考えてホテルなどの予約を取るのは夫の政彦の分担となり、慣れないインターネットを使って現地の地理を確かめ、歩く速さなどを考えて決めていった。そうした「しなければならない作業」があれば、現実を直視しないでいられた、と言い換えることもできた。

 

 結婚して3年で生まれた孝則。以来、二人は「夫婦」でありつつも、「お父さんとお母さん」だった。ある日突然、自慢の一人息子を失った。30年以上続けてきた日常を、今さら高校で同級生だった頃のように、二人きりに引き戻されても困惑しかなかった。時をほぼ同じくして、嫁の香織、孫の涼太までいなくなったことも、心の穴を大きくした。

 

 二人して、お遍路スタイルで遍路道を行く。東北の片田舎と言って差し支えないK市に生まれ育ち、高校を卒業してそのまま家業の木工所に入り、所帯を持った政彦と美智子。孝則が大学時代に住んだ東京より西は訪れたことさえなく、うどんやミカン、坂本龍馬が頭に浮かぶという程度の知識しかなかったことも、道行きを興味深くした。

 

 I市の住職にもらったパンフレットによると、お遍路には順打ちやら逆打ちなど、いろいろなやり方があるようだが、生来が生真面目な東北人気質がそうさせるのか、二人は一番札所からすべて徒歩で回り始めた。還暦過ぎの肉体は無理もきかないことから、複数回にわたって徐々に巡る「区切り打ち」とした。

 

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 最初のうちこそ、見知らぬ土地での巡礼の旅に心洗われたが、政彦は次第に美智子の言動が気にかかるようになっていった。

 

 あれは第24番札所の室戸山最御先寺だった。高知県に入って最初の霊場で、政彦の記憶通りなら、お遍路を始めて最初に海が間近に見えた札所だった。初めて見る室戸岬。その突端に砕け散る波頭。普段、内陸部のK市に住む政彦にとっては、まるで観光地のように映ったものだったが、美智子は違った。

 

 「白い波しぶきって津波を連想させるから、好きじゃない。海って何度見ても不気味よね。吸い込まれそうな気がするもの」

 

 仏像を拝んでもそうだった。信仰心とはまるで無縁の政彦でも、たおやかで慈愛に満ちた表情に落ち着きを得たものだったが、美智子は「地元のお寺さんで祈っていたら、何か変わっていたかしら」などと繰り返した。孝則の供養はもちろんだが、心の安寧を得るための旅だったはずが、何を見ても、何を聞いても、戻れるはずのない震災前に心が飛んでしまうようだった。

 

 「孝則の元へ行きたい」。美智子は、心のどこかで、そう思ってはいまいか。

 

 もう四半世紀以上前のことになる。

 

 政彦は、まだよちよち歩きの孝則を背負い、近所の雑貨屋に買い物に出掛けた。K市は南国の高知県と違って寒い時期が長い。毎年、山手から吹き降ろす風は身を切るようだったが、初めておぶった我が子のぬくもりが吹き飛ばしてくれた。帰宅すると孝則は背負われたまま寝入っており、政彦の首筋はよだれだらけになっていた。木工作業に使うタオルでよだれを拭い、口では美智子に「参った、参った」とこぼしたが、嫌悪感などあろうはずもなかった。背中はまだ、じんわりと温かかった。たかが買い物一つとっても、忘れられないほどの思い出がある。子を育てるとは、そういうことだろう。

 

 人間は思い出の中に生きるものだ。愛する肉親を失ったならば、なおさらだ。それでも、生きている以上は前に進まなければならない。たつきを得て、食らい、眠り、自らを生かさなければならない。後を追った方がどれだけ楽だろうと、眠れない夜もあったが、そうなれば誰が孝則の墓を守るのか。勇敢にも職に殉じ、若くして逝った息子の墓が雑草に覆われ、苔むすなど、それこそ耐えられない。自分たちもいずれ孝則の元に旅立つのだとしても、せめて、それまではーー。

 

 この夏、美智子が5度目の区切り打ちの相談を持ち掛けてきたが、政彦はクリスマス商戦への対応を理由に断った。木工所を切り盛りし、自分たちも食べていかなければならないのだと暗に伝えたかったが、美智子がいない間に仕上げたい物もあった。

 

 「それじゃ、お父さん。私、行ってくるわね。夏の間にいただいた温麺が、まだいっぱい残っているから、できれば茹でて食べてね」。美智子は10月、再び高知県へと向かった。苦しそうな顔に見えた。おそらく義務のように感じているのだろう。あれではもう、心の穴を埋めるやすらぎではなく、苦行だ。

 

 美智子の姿が見えなくなると、政彦は受話器を上げた。「ああ、んだ。もう、いぐらもしねえで出来上がるわ。ほしたら、頼むな」。弟の義彦に念押しの電話を掛けると、政彦は作業台に向かった。

 

(続)

 

 

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(25)I市の寺院跡にて~江藤美智子の遍路道

 

合掌礼拝一礼し、山門をくぐる。四国遍路第36番札所、独鈷山青龍寺。美智子は、うっそうと茂る木々を見やりながら、なるほど、これこそが霊場だと感じ入った。お大師さまが創建なさった名刹だという縁起にも納得する。

 

祈願を終え、納経帳に墨書をいただいて青龍寺を後にする。近くでは青く光り輝く雄大な太平洋を目の当たりにすることもできた。観光目的のお遍路さんならば感動するところだろうが、同じ太平洋に我が子を奪われた美智子にすれば、どうしてこんなにきれいな海が、と思わざるを得なかった。

 

ご本尊にも考えさせられた。青龍寺の波切不動明王像は、お大師さまが入唐の際、暴風雨を鎮めるために現れたと伝えられ、航海の安全や豊漁、世間の荒波をも鎮めてくれると信仰されているというのだが、暴風雨を津波と読み替えて「もし、仮に」と思ってしまう自分がいた。

 

 どうかしている――。美智子は首を振った。

 

高知県内も残すところ、あと三つとなった。体力になど全く自信のない還暦過ぎのおばあちゃんが、よくぞここまで続いたものだ。そもそも、木工所と家庭、子育てに追われて夢中で生きてきて、宗教や信仰などとは無縁だった。そんな美智子が2県目の遍路を終えようとしているのは、大津波で突然、命を落とした一人息子の存在が多分に影響していた。ふとした折りに孝則を重ね合わせてしまうのは、致し方ないことと言えた。

 

お遍路の旅に出ることにしたのは、ある寺の住職の影響だった。

 

あれは孝則の死から半年ほど経った頃だ。孝則の妻香織が実家に帰ると言いだした。夫の政彦と二人、孫の涼太もいるのだからと思いとどまるように諭したが、受け入れてもらえなかった。「涼太がいるからこそ、です」。おそらく原発事故の影響を言うのだろう、頑なな態度はあたかも強固な岩を思わせた。

 

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孝則の勤務先と官舎があるI市の斎場は、大地震の影響で構造に問題が見つかったとやらで、しばらく使えなくなった。近隣では、I市の北隣のN市の斎場が復旧を果たしていたので、そちらで荼毘に付した。香織はその他の諸々の手続きを終えると、わずかに分骨した孝則と、涼太を抱き、実家に戻っていった。

 

「彼は江藤のお墓に入れてあげてください。私の旧姓のお墓では気まずいでしょうから」

 

香織がそう言い残したので、政彦と美智子はI市沿岸の寺に向かった。K市にある菩提寺は無住となって久しい。最後の住職と親しかったとかで、檀家に困り事があればI市のその寺が差配してくれていた。夫を手元に置いて供養したいという香織の気持ちは痛いほど分かったが、分骨は故人の魂が引き裂かれて縁起が悪いなどとも聞く。どうしたらいいものか、お伺いを立てたかった。

 

「49日が過ぎれば分骨しても問題はないですよ。K市の墓に埋葬して構いません」。寺が津波で流失したといい、ジャージ姿で寺の遺構や遺物を探していたご住職が、その際は自身が読経に伺うと言ってくれた。政彦と美智子は跡形もなくなった寺院跡に驚きを隠せなかったものの、ホッと胸をなで下ろした。

 

表情を察したのか、ご住職がスコップを立てかけ、話を続けた。

 

「何もないでしょう。地震には耐えたんですがね、津波に全部持っていかれてしまって。建物だけなら良かったんですが、私の子どもまでね…」。だから、お気持ちはよく分かる、突然の死を受け入れられる人間などいない、それが我が子ならば、なおさらだ、と語った。

 

I市でも1000人近い住民が犠牲になった。そのうち、いわゆる檀家は250人ほど。心の内がどうしても晴れないという方には勧めているのだと言って、ご住職は1枚のパンフレットを差し出した。同じように悩みをぶつけてくる被災者が多いのだろう、ジャージのポケットに入れていたパンフレットは、くしゃくしゃだった。

 

「四国八十八箇所霊場遍路道」。表題に、そう書いてあった。我が子の死と、その血を継ぐ孫との別れ。何かにすがりつかなければ倒れてしまいそうだった美智子の心に、ほんの少しだけ明かりが灯るのが分かった。

 

(続)

 

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(24)責任感とガッツ~江藤美智子の遍路道

江藤香織は千葉県M市の実家で、絵葉書を手にしていた。差出人は江藤美智子。もう、5年ほど顔を合わせていない義母からの一葉は例年通り、四国の何とかと言う寺の写真が添えられていた。

 

「もう、いいのに…」。正直なところ、香織は今後、美智子らの元に戻る気はない。あの震災が夫孝則の命を奪って以降、江藤家とは疎遠だ。当初は余震や、原発事故による放射性物質が息子涼太に与える影響などを挙げて実家に戻ったが、夫という鎹(かすがい)を失ったことによる距離感は埋めようもなかった。

 

「ただいまー」。小学2年になった涼太が元気いっぱい、学校から実家へと駆け込んできた。そしてすぐ、近所にある消防分署へと飛び出していく。涼太の今のお気に入りは消防車の出動シーンだ。突然にして帰らぬ人となった孝則への思いが消えることなどあり得ないが、自分たちはもう、東北のK市ではなく、ここに足場があるのだ。

 

「実は孝則の行方が分からない。津波が来るので避難誘導に出て行ったまま、消息が途絶えた」

 

あの大地震の翌日、K市の北にあるI市の官舎に住んでいた香織は、差し入れを持って訪れた孝則の勤務先、I警察署で義理の伯父の良彦にそう告げられた。確かに、とてつもない揺れではあったが、孝則の普段の詰め所は内陸部の交番だ。津波に呑まれる可能性など念頭になかった香織は思考が停止し、その場にへたり込んだ。

 

俗に「警察一家」と揶揄されるように、警察組織の横のつながりは非常に強固だ。災害時に限らず、大事故や長期にわたる事件捜査の場合、署の上階にある道場などで寝起きする夫のため、奥さん連中が着替えや差し入れを持ち寄るのが慣例だった。今回もそれに倣って、おにぎりを持ってきただけだった。

 

部下の、甥の生死が分からないと、何も知らないでいる配偶者に伝える辛さ。良彦が、おそらく一睡もしていないであろう青白い顔のまま、言葉を絞り出したのが分かった。1歳になったばかりで、背に負われた涼太が泣き叫ぶ声ばかりが署内に響いた。副署長さんに警務課長さん、孝則の直属の上司に当たる地域課長さん。同じ官舎に住む見知った顔は皆、うつむいたままだった。

 

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孝則はさらに翌日になって、沿岸部にある空港近くの民家の敷地で見つかった。オレンジ色の誘導棒を握り締めたまま、泥の中にうつぶせで倒れていたという。近くには、もう1人の同僚と一緒に乗っていたパトカーが残されていた。

 

「車を降りて、付近の家屋に残っている住民がいないかどうか、探し回っていたんだろう。責任感とガッツのある奴だった」

 

褒め言葉なんていらないから孝則を返してほしい。香織には、地域課長の言葉が虚しく響いた。

 

 結婚して10年、ようやく授かった息子は、まだ言葉も話せない。これから「パパ」としゃべりだすのを喜び、手をつないで公園を歩き、ランドセルを背負って入学式に出る姿をビデオに収め、海や山でいっぱい遊ぶはずだった。無責任とそしられていい、無気力と非難されたって構わない。そんな、親としてのたわいもない望みを、叶えさせてよ。どうして津波が来ると分かったのに、引き返させなかったのよーー。

 

警察官である夫が亡くなった以上、警察官舎に住み続けることはできない。混乱の極みにあった被災地での手続きに手間取りはしたが、香織は半年ほどして、幼な子を抱いて実家に身を寄せた。美智子らはK市に戻るよう提案してくれたが、その気にはなれなかった。「こちらは心配事が尽きないし、思い出も多すぎるので…」。そう告げて、差し伸べられた手を拒んだ。

 

それから半年もしない頃だった。お遍路に出たという、美智子からの絵葉書が届くようになった。

 

(続)

 

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(23)新米警察官~江藤美智子の遍路道

 

「義姉さん、また四国なのか」

 

ポストに届いた絵葉書を手に、江藤良彦はつぶやいた。兄政彦の妻美智子が差し出した私信の裏には、第何十何札所だかの甍(いらか)が映っていた。

 

兄夫婦はあれ以来、お遍路に凝っている。聞いていると、どうも兄はそれほどでもないようだが、義姉は供養になると信じているようだ。あの日、犠牲になった甥、孝則の。

 

良彦にとって孝則は甥であると同時に、部下でもあった。江藤家があるK市の北、I市にあるI警察署の巡査で、良彦が所属長の署長だった。管内にある警察学校を卒業し、すぐI署の地域課に配属された。

 

孝則が警察官に憧れていたことは薄々、分かっていた。盆暮れのたびに実家に帰省すると、拳銃を撃ったことがあるかとか、犯人にはカツ丼を出すのかなど、テレビドラマの影響を受けたのであろう質問を浴びせてきた。「カツ丼は被疑者が自分で注文するもんだ。拳銃は上に五円玉を置き、反動で落とさないように撃つ訓練をやったりする」。それらしく語ってやると、目を輝かせていた。

 

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孝則はいったん、兄の後を継いで木工職人となった。根が優しいので、斜陽著しい生家を支えたかったのだろうが、子どもの頃からの憧れは消せなかったのだろう。数年して、転職の相談を持ち掛けてくるようになった。兄には悪いと思ったが、将来ある甥を家業の人柱にするのは忍びなく、何くれとなく諭してやった。

 

結果、採用試験は見事に合格。薹(とう)は立っていたが、体育大出で運動能力に秀でていたこともあり、警察学校も優秀な成績で終えた。将来を嘱望されていたと言っていい。まあ、半分以上は幹部警察官だった良彦の身内として注目されていたのだろうが。

 

卒配の1年後、良彦が所属長となった。県警内部では身贔屓を揶揄する向きもあったので、良彦は気を引き締めて赴任しものだが、孝則はそうした空気も読まず、署長室に出入りしては生まれたばかりの子ども自慢を繰り返した。

 

 通常、新米が署長室を頻繁に訪れるなどあり得ない。民間の空気を吸ってから奉職したという、異色の経歴も大きく影響していたのだろう。来るたびに職制をわきまえるよう叱責したものだが、子どもの成長が見られるたびに懲りずにやって来ては、前室に控える副署長にまでにやけ顔を見せた。もとより甥のこと、そんな孝則が憎めず、良彦も表向きは呆れたそぶりを見せつつ、楽しんでいた。

 

そんな日常を、東日本大震災が一変させた。

 

警察官を拝命した以上、厳しい現場に遭遇することは多々ある。毎日のように新聞にベタ記事が載る交通事故だって、現場には血潮が飛び散り、手脚があらぬ方向に曲がった被害者を目の当たりにすることもある。殺人などの強行犯事件ならなおさらだが、そんな警察にも格言めいた言い習わしはあった。「災害は別格」。言葉通り、良彦たちは突然にして緊急事態に放り込まれた。

 

いつものように署長室に座っていると、体が持ち上げられるような縦揺れが来た。次いで、庁舎が壊れるのではないかと思うほどの横揺れ。恒常的に予算不足の警察のことだ、良彦は倒壊を避けて築50年になんなんとする署を早々に飛び出し、駐車場で指揮を執った。生活安全課には行政機関との連携、刑事課には発生事案対応、留置管理課には代用監獄にいる被疑者への対応、地域、交通両課には避難誘導や警戒を指示した。

 

いくらもしないうちに、テレビが緊急速報に切り替わった。県沿岸部に6メートルの津波警報が出たという。最悪の事態を想定し、副署長に沿岸部へと向かった署員を把握するよう伝えた。「地域課員22名、PC(パトカー)にてI市沿岸部、主に集落近辺を警邏中」。いつも冷静な副署長が淡々と報告した30分後のことだった。テレビ画面に、沿岸部を覆う真っ黒な津波が映し出された。

 

「22名中、6名と連絡が取れません!」。数分して副署長が駆け寄って来た。若い時分から付き合いは長いが、良彦はこの男が取り乱すのを初めて見た。「署長!うち1人は孝則です!」。良彦は胃の辺りがスッと冷え込むような感覚を味わった。

 

(続)

 

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(22)刺激と危険の相関関係~江藤美智子の遍路道


江藤政彦は自宅の隣にある木工所で、とあるプレート作りに精を出していた。妻の美智子は一昨日から、5度目のお遍路に出掛けている。今回の作業内容は美智子には内緒だ。クリスマス商戦に備えて積み木細工を量産する必要がある、と説明してある。

 

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下地作りの一環で板にかんなを掛けながら、政彦は10年ほど前の長男孝則の行動に思いを馳せていた。「どうして警察官になど志願したのだろう」。大卒後の就職口を蹴ってまで木工所を継いでくれたというのに、知育玩具の受注もあいつが決めたというのに、なぜ――。思いはいつも堂々巡りだ。

 

予兆はあった。孝則が木工職人になって3、4年した頃だろうか。田舎町では数少ない根付きの青年ということで、消防団に勧誘され、のめり込み始めた頃のことだ。

 

消防団活動と言っても、内容はさして厳しいものではない。60歳を過ぎて引退したものの、政彦自身、若い頃は同じように活動していた。月に1回程度、分団に配備されたポンプ車の手入れがてら地域を回る。後は年に2回ほどある演習に参加するくらいで、広範囲を受け持つ訳でもないから火事などによる出動もそうそうない。

 

ただ、飲み会は多かった。消防団員にはおおむね、農林漁業者や自営業者などの地元出身者が就く。いきおい、子ども時分からの人間関係を引きずるもので、K市のような地方の小都市ならばなおさらだった。週に何度も、「会合」と称して誰彼の家で酒杯をあおる。気の利いた飲食店どころか、嫁の来てもない田舎のこと、青年たちは各々の自宅に集まっては飲んで憂さ晴らしをした。

 

木工に飽いたという訳ではないようだったが、東京暮らしを経験した孝則にとって、地元はあまりにも刺激に乏しかったのだろう。会合ではよく、「演習は興奮する。何て言うか、こう、ガーッと血がたぎる。出動はなおさらだ」と語っていたそうだ。

 

火に油を注ぐ存在も身近にいた。政彦の弟、良彦だ。高校を出てすぐ県警に奉職し、不法投棄事件や少年犯罪、薬物捜査などを担ってきた。酔うと1990年代に社会を震撼させた少年事件などを挙げ、やりがいを語って聞かせる悪癖もあったものだから、感化されたのかもしれない。

 

「父ちゃん、ごめん。やっぱり俺、警察官になりたい」。地元に戻ってから8年ほどした頃、孝則からそう告げられ、心のどこかで納得した覚えはある。

 

とにもかくにも、孝則は2009年、巡査を拝命する。採用に当たっては徹底した思想・身元調査が成されると聞いたことがあったが、伯父が県警本部の課長級の警視だとあって、ほぼスルーパスだったようだ。K市の北、I市にあるI警察署に配属された。

 

あまり前例のないことだそうだが、1年後には良彦が署長として赴任する。一族が近隣に顔をそろえ、孝則に男の子が生まれたこともあって、皆がめでたい、めでたいと言っていた。

 

一人、政彦ばかりは手放しでは喜べなかった。

 

「刺激」なるものを求めて転職した孝則。若く健康な男子ならばその思考に不思議はないし、木工に未来があるとは言えない現状もある。とはいえ、刺激とはそもそも、危険と隣り合わせということでもある。消防団時代、消火活動中に現場近くの用水路に転落し、脚が不自由になった仲間がいるだけに、「警察官としてのやりがい」とやらが孝則の身を危うくはさせないか懸念した。

 

漠たる不安は最悪の形で的中する。

 

11年3月11日。孝則が大地震後、津波からの避難誘導に出掛けたまま消息を絶ったと、良彦が知らせてよこした。

 

(続)

 

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(21)同行三人~江藤美智子の遍路道


江藤美智子は額からしたたる汗を手ぬぐいで拭きながら、空を見上げた。四国の空は快晴といっていい。何となく東北の空の色とは違うと感じる。抜けるような青とでも言おうか、ここは南国なのだと感じる時がある。10月に入ったというのに真夏のような暑さで、もう秋風が吹く地元とは大いに異なる。

 

美智子が歩いているのは高知県遍路道だ。これで5度目となる「区切り打ち」で、1番札所から「順打ち」を続けてきた。前回までは夫の政彦も一緒だったが、家業の木工所がクリスマス商戦を控えて繁忙期に入ってきたとかで、今回は一人での巡礼旅となった。

 

「まあ、『同行二人』て言うしね。本当は孝則を入れて三人て思いたいけれど、さすがにお大師さまと同列にしちゃ失礼よね」。菅笠に白衣、金剛杖のお遍路スタイルに身を包んだ美智子は独りごち、寂しさを紛らわせつつ歩いた。

 

美智子は1949年、東北の小都市、K市に生まれた。県庁所在地のS市の南約40キロに位置する「田園都市」だという。市役所は都市だなんて格好付けるが、何のことはない、誘致企業以外は田んぼと畑ばかりの田舎町だと美智子は思っている。

 

同い年の政彦と出会ったのは高校時代だ。小中と別の学校に通ったが、市内に高校は一つしかなく、15歳で席を並べた。顔は特に好みではなかったが、柔道部らしい無骨な指が器用に鉛筆を削り出すギャップに好感を抱き、次第に惹かれていった。木工所の跡取り息子だと聞き、なるほどと思ったものだ。

 

卒業と同時に木工職人となった政彦と所帯を持ったのは74年。3年後に孝則が生まれた。当時は輸入材が次第に幅を利かせはじめ、木工所はどこも経営が苦しくなりつつあったが、実直に仕事をこなす政彦と孝則との3人暮らしは、ささやかながらも幸せな日々だった。

 

孝則は政彦に似て、子どもの頃から手先が器用だった。自宅に隣接する木工所が遊び場だったこともあり、就学前から小刀をおもちゃ代わりに人形などを彫っていた。本人は「宇宙刑事ギャバン」と言っていたが、戦隊モノに疎い美智子にはさっぱりで、後に孝則と一緒にテレビを見て出来栄えに驚いた。

 

勉強の方ははかばかしくなかったが、三角関数に出くわして勉学の道から早々に撤退した政彦と美智子は、遺伝だろうと諦めた。その代わり、体育の成績は抜群で、180センチ台の長身を生かして球技も格闘技もそつなくこなし、推薦で東京の体育大学に進んだ。

 

「俺、家、継ごうと思うんだわ」。大学3年のある日、帰省した孝則はやにわにそう切り出した。住宅産業は今や輸入材一辺倒で、国産材で建具などをこしらえてきた家業は見る影もない。政彦の代で屋号を下ろそうと考えていただけに、うれしかった。警備会社への就職の口もあったそうだが、「父ちゃんと母ちゃん、放っとがんねべ」と言ってくれた。

 

大学で知り合ったという千葉出身の娘さんを連れ、K市に戻ってきた孝則。住宅建材だけではおぼつかないと、おもちゃ関係の仕事も積極的に受注した。主に乳幼児の知育玩具に力を入れ、角のない積み木などを熱心に生産していた。地元に根付いた数少ない青年として消防団活動にも加わり、家業はぼちぼちながらも、まずは順風な暮らしぶりだった。

 

家族を愛し、地域に愛された青年がわずか10年後に突然、遺体で発見されるとは、美智子はもちろん、誰もが想像しなかった。

 

(続)

 

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(20)幕間~福田禎一の街づくり

 

 東北(新聞)さん? いやあ、お待たせしちゃって。なに、土建屋なんてしてると、なんやかんやあるもんでね。どうも、どうも福田と申します。ほう。次長さんなんですか。吉田さん、知ってる? 御社の、営業の。あ、知らないかあ。まあ社員さん、いっぱいいるもんな。いや、いいの、いいの。普段、広告出稿で世話になってるってだけで。記者さんとは関係ないもんな。

 

 ところで、今日は選挙の関係? お宅に載ってから他のマスコミさんからも取材がいっぱい来てさあ。「市役所一家vs受注企業」だの、「復興現場から反旗の狼煙」とか、マスコミさんは脚色が好きだよねえ。震災が絡むってんで、こないだなんか、東京からワイドショーのクルーが押し掛けてきたよ。柿沼さんとはいつからソリが合わなくなったんですか、だってさ。参ったよ。

 

higasinihondaishinsai.hatenablog.com

 

 え? 違う? 選挙の話が聞きたいんじゃないの? 日下洋子さん…、ああ、N市の! 山の上の団地に住んでる女性だよね。彼女から聞いてきた?ほう。ウエディングドレスの飾り方はどうやって思いついたか、かい。

 

 う~ん。何て表現したらいいか難しいんだけどさ、オレの生まれ育ちに関係してるんで、ちょっと長くなっちゃうけど、いい?

 

 オレ、ずいぶん貧乏でさ。ガキの頃。10になるか、ならないかって頃にオヤジが死んじまったから、母ちゃんが女手一つで育ててくれたんだわ。朝は3時に起きて新聞配達な。その後はオレを学校に送り出してから近所の農作業を手伝って、暗くなるまで外で腰をかがめてた。それから家に帰って、家事やって、寝る間も惜しんで内職だ。母ちゃん、息子のオレが言うのもおかしいけど美人でよ。いくらでも後添いの口はあったはずなんだが、こんな馬鹿息子を優先させてね。何年もしねえうちに爪先には土が詰まり、肌はがさがさ、シミも目立つようになってた。

 

 そんでも、男手のない家計は知れたもんだろ。常に腹を空かせているようなガキでさ、近所の畑に植わってる大根引っこ抜いて、食べちまったことがあったんだ。それをたまたま、母ちゃんが見てたんだな。すっ飛んできて、頭の形が変わるんじゃないかってくらい殴られたよ。「禎一、いぐらカネねくたって、そんでは犬っコロと同じだど」ってな。

 

 ただ、腹は減るよなあ。そんな時、母ちゃんが炒め物を食べてるのを見たんだ。「母ちゃん、ずるい」って叫んで、皿に飛びついて全部食っちまった。でも、何だか変な味なんだ。筋っぽいっていうかね。よくよく見たら、大根やニンジンなんかの皮だった。母ちゃん、悲しそうな顔してたよ。オレに身を食わせて、自分は後で脇によけておいた皮食って腹を満たしていたんだな。

 

 

 大人になってからも迷惑の掛け通しでなあ。生まれた息子に障害があってよ。会社が忙しいこともあったが、本音を言えば現実を直視できなくて、母ちゃんに任せきりにしちまった。自閉症って分かるかい。親だって息子が伝えたいことが分からねえのに、母ちゃんは懸命に向き合ってくれた。息子が暴れるとな、どこにいてもすっ飛んで来て、抱き着くのさ。落ち着くまでそうしてるんだ。

 

 感謝を形にしたくてよ、家を建てたんだ。隙間っ風が入る貧乏長屋で育ったから、海鳴りってのがどうも苦手でね。母ちゃんに暖かい家に住んでほしいのもあって、最高に気密性の高い家をこしらえたんだけど、それがあだになっちまった。津波に警戒するよう呼び掛ける広報車の音が聞こえなくなっちまってた。

 

 何のことはねえ。ちょっとばかり成功したからって、オレは良い気になってて、考えなしに親殺しの道具作ってたんだ。

 

 もっと腹いっぱい、うまいもん食わせてやりたかったのに。温泉にも引っ張ってってやりたかったし、旅行にも連れて行ってやりたかった。オレはホント、考えが足りないバカで、いつでもできると思い込んでた。いつまでも母ちゃんがいるって、勘違いしていた。こんなに簡単に、本当にあっさりと、命ってやつは奪われていくのに。現実はいつだって、冷徹なんだぜ。

 

 母ちゃん、最後に「もっと大事なこどばやんねば」って言ってたんだ。大事なことってなんだべって、あれからずっと考えてたんだ。そしたら、ある日ふと、野菜の皮炒めだの、息子にしがみ付く母ちゃんの姿が蘇ったんだ。たぶん、あれなんだよ。大事なことってのは、人のために何ができるか考え抜いて行動することなんだ。それが日下さんの場合、ドレス展示室だったってだけなのさ。

 

 オレな、もう何もないのよ。親孝行する相手もいねえし、会社継がせる息子もいねえ。これ以上、下はねえって考えたら、何か吹っ切れてな。あからさまな指名外しやら何やら、これから柿沼がいろいろ仕掛けてくるだろう。でもな、「犬っコロ」にはなりたくねえんだ。たかだかの身代を守るために汲々として、困ってる人間を見て見ぬふりしてたら、こんなバカに一生を捧げてくれた母ちゃんに会わせる顔がねえよ。

 

 次長さん。オレ、ただ、母ちゃんに褒められたかっただけなんだ。「良ぐやったど、禎一。おめはオラの誇りだ」って言ってほしかっただけなんだ。遅いかもしんねえけど、母ちゃんが好きだったこの街を、日本一安全で、安心な街にしてみせるよ。

 

(福田禎一・完)

 

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