木下俊道
はい、私が木下です。お電話をいただいた東北新聞の方ですね。どうぞ、どうぞ、奥の方へ。先だっては記事、ありがとうございました。落慶法要の。おかげさまで再建をご存じなかった方からもお電話をいただいて。 中には「菩提寺もないんじゃ戻れないと思って…
木の香りが漂う本堂に歩みを進め、居並ぶ檀信徒の間を通って席に着く。正面には木魚と鈴(りん)。手には払子(ほっす)と経典。本山や貞観寺など縁のある寺から僧侶が駆け付け、木下の後ろに並んで読経を始めた。 再建を果たした道応寺の落慶法要。本堂はま…
貞観寺の桜は、S市内でも名高い古木の一つだ。名所というほどではないにせよ、荘厳にして優美な観桜の地として知られる。まだ人気の少ない早朝、木下はあれから6度目の花を咲かせた枝を見やった。 そのまま水の入ったコップを手に、墓地区画に足を運び、一…
俊大が遺体で見つかった翌日、木下の父親と母親も相前後して発見された。もちろん、息をしていなかった。 higasinihondaishinsai.hatenablog.com 災害が起きて行方不明者が出ると、テレビではよく「72時間の壁」などと語られる。飲まず食わずで、寒空の下…
「おい、そっち、そっと下ろせよ。崩れっかんな」 道応寺跡に6、7人の消防団員が駆け付け、がれきの撤去を手伝ってくれていた。木下が一人息子の俊大の名前を大声で叫びながら、がれきをよけていたからだろう。行方不明者の捜索に回っていた隊が聞きつけ、…
道応寺は創建600年以上と伝えられ、N市でも古刹の部類に入る。最初の住職が室町時代ごろの人ということになるが、寺には実際、そのぐらいの年代の物とみられる過去帳も残されており、あながち誇張とばかり言えない。立派な瓦ぶきの屋根は戦後、地域の寄…
どの道を通ってN市に戻ったのか、正直なところ今でも思い出せない。覚えているのは愛車ムーブのタイヤが奏でるスキール音だけだ。途中、カーブを何度も異常な勢いで曲がったからだろう。幹線道路は渋滞でどうにもならないと見切りをつけ、地元の強みを生か…
2011年3月11日、木下はS市にある真智子の実家、貞観寺に出向いていた。東北最大の都市、S市にあるとはいえ、山間部の貞観寺は檀家数も少なく、ために僧侶の出番も少ない。普段ならば住職である真智子の父一人で事足りるのだが、春彼岸を控えたこの…
木下俊道は毎朝起きると、台所に立ってコップに水をくむ。自分で飲むのではなく、そのまま自宅の外へと向かう。家の前が墓地になっており、「木下家代々の墓」と刻まれた墓にコップを供える。もう1年以上も続けているルーティンだ。 コップはプラスチック製…