あの日を境に

巨大災害によって人生が一変した人々の群像劇

(41)証拠保全手続き~金井七海の法廷闘争

 

 遺族全員に共通する疑念は、うみどり福祉会のバスがなぜ、大津波警報が発令されている最中に海沿いにある福祉会へと引き返したのか、だった。乗っていた障害者たちは判断力に乏しいとしても、運転手は健常者である福祉会職員だ。海に向かえば津波に呑み込まれる恐れがあるとは考えなかったのか。七海はこの点がずっと不思議だった。

 

 「おそらく」と前置きをしながら、米田は福祉会の認識の甘さが根底にあるのだろうと喝破した。さまざまな分野に特化した組織、団体にはよくあることだというが、障害者福祉には明るくても防災には疎かった。それが真相なのだろう、と。

 

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 そうだと仮定すると、人命を預かる障碍者就労支援施設としてはお粗末極まりなく、日々の業務を漫然と行う余り万が一への意識が欠落していたことを追及できるという。「裁判所に証拠保全を請求しましょうね」。米田がそう提案した。

 

 七海も忠司も門外漢のため頷くしかなかったが、訴訟に至るほどのトラブルでは一般的に、相手方は証拠になるような文書の提供に応じてくれない。米田が解説してくれたところでは、たとえば医療過誤訴訟を提起するとして、どういう病気で、どういう手術が選択され、その結果どうして亡くなることになったのかを明らかにするためカルテを証拠提出したいが、病院側は原告にカルテを渡すわけがない。そこで、裁判所を介してカルテを押さえてしまうのが証拠保全という手続きなのだそうだ。

 

 さすが弁護士というところだろうか。福祉会理事長の福田はこのところ、遺族たちとの交渉に応じようとさえしない。まさに「病院」だ。でも、そこで裁判所に申し立てることなど考えつかなかった。そういう制度があること自体も知らなかった。

 

 話し合いの末、証拠保全請求の対象は福祉会の定款と災害マニュアル、避難訓練の実施状況とそれに関連する福祉会内の議事録にすることにした。自己判断できない障害者を災害時に守るため、福祉会がどういう取り決めをしていたのかをつまびらかにすることで、安全配慮義務を怠ったと主張することになった。

 

 3カ月後、裁判官と裁判所事務官が福祉会――建屋そのものは流失せずに残ったが、業務は行っていない――を訪問し、応対した福田に証拠保全を行う旨を告げた。福祉会の資料は福田が社長を務める福田建設内に移してあるとのことで、証拠の回収はそちらで行われた。予想に反して福田は何ら抗わず、文書の提出に応じた。

 

 後に米田が解説してくれたが、証拠保全に強制力はないものの、拒否すれば裁判官の心証は悪くなることが一般的だ。福田建設ほどの大企業には顧問弁護士が就いており、そちらから知恵を付けられたのだろいうということだった。「取り決めはあり、安全には配慮していたが、あれほどの巨大津波が来ると予見することはできなかった」と切り返すつもりなのだろう、という。

 

 こうして証拠保全手続きが終わり、七海たちは訴訟に突入していくこととなった。

 

 疑念に端を発した、福田への怒りと憎しみ。その果てに、七海は意外な事実を知ることになる。

 

(続)

 

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