あの日を境に

巨大災害によって人生が一変した人々の群像劇

(47)山あいでの被災~木下俊道の落慶法要

 

 2011年3月11日、木下はS市にある真智子の実家、貞観寺に出向いていた。東北最大の都市、S市にあるとはいえ、山間部の貞観寺は檀家数も少なく、ために僧侶の出番も少ない。普段ならば住職である真智子の父一人で事足りるのだが、春彼岸を控えたこの時期に法事が集中したとかで、木下にSOSが発せられた。

 

 こんな時、宗派が同じ寺同士が縁戚関係にあるのは本当に助かる。義父はそう言って木下の肩をたたくと、クラウンを駆って法要が営まれるお宅へと走り去った。「坊主って、どうしてクラウンが好きなんだろうな」。木下はそう独りごちて義父を見送ると、寺に来る別口の法事客を待った。

 

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 3月に入ったとはいえ、まだまだ寒い日が続いていた。この日も気温は10度に届かず、本堂にいた木下が足裏に貼るタイプのホッカイロを足袋の中に入れようとした時だった。創建400年だという貞観寺が崩れ落ちるのではないかと思うほどの揺れが襲ってきた。後にマグニチュード9だったと判明した大地震だった。

 

 「大きいっ」。木下は叫ぶや否や、ご本尊から離れて庫裏の方へと避難した。寺の本堂はたいてい柱が太く、頑丈に造られているものだが、大きい物で高さ3メートル前後になるご本尊は自重で支えられているだけで、釘やネジで留められているわけではない。たぶんに宗教上の理由からだったが、このため大きな地震の際には倒れることも多く、何年か前にもどこかの県で住職が下敷きになる騒ぎがあった。

 

 結局、ご本尊こそ倒れなかったものの、木魚やら香炉などが台から落ちて灰が飛び散り、堂内はひどい有り様となった。法事どころではなくなり、15時の約束だからと律儀に訪れた法事客に詫び、義父が帰るまで掃除をして待つことにした。貞観寺のある山あいの地区は揺れによる家屋の損傷ぐらいで済んだこともあり、木下も「大きな地震だったな」という程度の感想しか持たなかった。

 

 「俊道君、いるがっ!」。そこに血相を変えた義父が飛び込んできた。もしや法事客を帰したこと聞きつけ、咎められるのかと構えたが、「そんなごど、どんでもいい」と一蹴された。義父が担当した法要も地震で流れたといい、クラウンを運転して帰っていると、カーラジオが変事を伝えていた。

 

 「県沿岸部に大津波警報が発令されました。高いところで数メートル級の津波が押し寄せる可能性があります。決して海辺には近づかず、海沿いにいる方は避難して下さい。警戒が必要な市町村は次の通りです。S市、I市、N市…」

 

 N市。確かにそう言ったという。木下が生まれ育った道応寺はN市沿岸部にある。いや、沿岸部どころか、漁港までは目と鼻の先だ。殺生に当たるからと木下自身は父親に禁じられていたものの、同級生たちが釣り糸を垂れていた岸壁までは歩いて5分も掛からない。

 

 慌てて袂から携帯電話を取り出す。震える指先でリダイヤルを呼び出し、真智子の番号を鳴らす。つながらない。災害後の常で混線しているようだ。何度も何度も試みるが、無駄だった。焦りが募る。義父に肩をたたかれて我に返った。「俊道君、こっちはいいがら、戻れわ」。促されるまま愛車のムーブに飛び乗った。

 

 貞観寺からS市中心部へと至る国道48号はさほどでもなかったが、市中心部に入ると途端に渋滞がひどくなった。大地震の後ということもあるが、金曜日の午後4時すぎとしては日常の混み具合と言えた。

 

 辺りが徐々に暗くなってくる。カーラジオはさっきから、津波情報ばかりだが、なにぶん伝聞情報が多く実態がつかめない。記者も海沿いには近づけないのだろうか。上空からの映像があるようだったが、テレビをつけても運転中は画像が映らない。安全のための仕組みだと分かっていても、木下はいらだってステアリングを何度もたたいた。

 

 「S市W区の映像です。真っ黒い津波が、水田でしょうか、その上を覆っていく様子が映し出されています」。テレビの音声に不安がさらに膨らむ。W区と言っても広い。映っている場所が南側ならば、川を挟んで対岸が木下の住む地区になる。

 

 「えーい!」。いらだちが最高潮に達し、木下は車内で大声を張り上げた。若いころからの修行の日々など、危機的状況に直面すれば何の意味も成さないことがよく分かる。正直なところ、家族が無事でさえあれば、その他の物事はすべてどうでも良いとさえ思えた。

 

 突如、木下の携帯電話が鳴動した。見ると、真智子からだった。ホッとして全身から力が抜ける。渋滞で先ほどから全く車が動かないことを幸いに、電話に出た。「いやあ、良かった。心配で何度も電話したんだが、混線しててつながらなかった。こっちは地震で法事にならなくて、切り上げてきたわ」。木下が切りだすと、真智子は取り乱した様子で嗚咽交じりに漏らした。

 

 「俊(とし)さん、俊大がいないの」

 

 頭から冷や水でも掛けられたように、全身がスッと冷える感じがした。

 

(続)

 

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