あの日を境に

巨大災害によって人生が一変した人々の群像劇

(42)運命を分かつ物~金井七海の法廷闘争

 

 「君代さんを最後に見たのは、3月11日の午後4時ごろだったと思います。私は自宅が津波で流されました。一口に流されると言いますが、実態は寄せ波で家屋が基礎から浮き上がり、直後の引き波で海へと持っていかれるのです。あの時は無我夢中で二階に逃げ、そのまま家ごと海へと引っ張られました。その時、二階の窓から福田さんの家が見えて、一階の屋根に上がった君代さんの姿が目に入ったのです」

 

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 七海は、弁護士の米田から渡された準備書面を読み、そこに書かれていた切迫した状況に引き込まれた。提訴から半年、第3回口頭弁論を間近に控え、うみどり福祉会と福田から送られてきた準備書面。福祉会側の代理人弁護士が、福祉会に近い場所に住んでいたI市の被災者から当時の状況を聞き取り、書面化したという。

 

 通常、民事裁判は法廷内で必要以上にしゃべることはない。七海のような素人は、どうしてもドラマのように弁護士らが舌鋒鋭く追及する場面が思い浮かぶが、それは刑事裁判で、しかも都合よく脚色されたものだ。民事は原告、被告の双方か一方が毎回、口頭弁論の1~2週間前に準備書面を出し合い、内容を裏付ける文書なりを証拠として提出する。今回は、被告である福祉会側が被災者から聞き取った当時の君代の被災状況を出してきたというわけだ。実際の法廷は、代理人がその準備書面を「陳述します」と告げるだけで、内容をその場でしゃべったことになる。

 

 被災者の名前は真田とあった。震災前は福祉会の北側に自宅があり、津波で流されたものの、奇跡的に家屋が岩や木に堰き止められ、一命を取り留めた。その際、自宅二階の窓から見た光景を語ったものだった。

 

 「君代さんは一階の屋根に上った上で、雨どいを伝ってさらに上に逃げようとしていたようでした。建設会社の社長さんの自宅だけあって、福田さんのところは結局、津波にもびくともしなかったんですが、海が街中に突然出現したような状態でしたから、パニックになったのかもしれません。できるだけ高いところに、と考えたのでしょう」

 

 七海も当時のことを思い出さずにはいられなかった。自宅は流失を免れたとはいえ、床下まで波が来た。激しい揺れに襲われ、後片付けをしていたらいつの間にか津波が押し寄せてきていた。内陸へ、内陸へと必死に走って逃げ、高速道路ののり面を駆け上って助かったのだった。

 

 「自分も流されているのに変な話なんですが、スロー再生中のテレビ画面でも見ているようで、あの時って他の家にいた人の表情や動きまではっきり見分けられたのです。君代さんは雨どいまでもう少しだったんです。しかし、もう手が届くというところで急に、顔がゆがみました。靴をはいていなかったので、何かを踏みつけてしまったのだと思います。ずっと壁に添えていた手を離し、痛む足に持っていった瞬間、屋根の上を転がるようにして押し寄せる津波の中に落ちていきました」

 

 七海の自宅と福祉会は2キロほど離れている。自分が命からがら遁走している時、君代も生き抜くために戦っていたのだと思うと、目頭が熱くなった。同じ時間、同じような場所で巨大災害に巻き込まれた者同士にしか分かり得ない共感。一方は犠牲になり、一方は生き残ったが、それはほんの僅かな運の差でしかない。あの時、七海は地震で落ちて割れた食器類の掃除中で、けがをしないようにスニーカーを履いていたことが速やかな避難につながったと思っている。

 

 「原告らは、訴外君代が大津波警報の発令を知りながら、原告金井忠司、七海夫妻の長女琴美らにバスで福祉会へ戻るよう指示したとするが、その君代でさえ、福祉会北隣にある自宅の屋根の上に逃れたものの、そのまま死亡した。警報が出ていたとしても、家を呑み込むほどの巨大津波の襲来を予見できなかったことは明らかだ。仮に予見できていたならば、その場に留まるという選択をしたはずがなく、想定をはるかに越える自然の脅威まで予見して対応すべきだったとする原告の指摘は酷に過ぎる」。準備書面はそう続き、福祉会側への責任論を回避していた。

 

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 君代はあの時、必死で生きようとしていた。それは、孫の隼人をこれからも守らなければという一心からだったろうが、ほぼ一人で福祉会を切り盛りしていたことからすれば、それは琴美を含めた通所者全員に通じることでもあった。

 

 「琴美ちゃん、笑顔、笑顔」。いつも、そう言って琴美の気持ちを盛り立てていた君代。娘の将来を悲観して時折、愚痴をこぼしていた七海の肩をポンとたたき、笑顔を見せてくれる人でもあった。

 

 「誰かが悪いから琴美が死んだ、そういうものじゃないのかもしれない。みんなあの時は必死だったんだから」。七海は君代の余りに壮絶な死に様に触れ、怒りが急速にしぼんでいくのを感じた。

 

(続)

 

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