あの日を境に

巨大災害によって人生が一変した人々の群像劇

(39)内臓逆位~金井七海の法廷闘争

 

金井忠司と七海の一人娘、琴美は「内臓逆位」で生まれてきた。心臓も胃も、何もかもが鏡に映したように左右反対に配置されている症状だ。手塚治虫の不朽の名作「ブラックジャック」などで知られるが、漫画の世界のお話ではなく、実際に数万人に一人の確率で生まれてくるものだと産科医に教わった。


単に逆というだけならば何ら問題はない。医師は続けて、「エコーで見る限り大丈夫でしょう。大きな病気でもしない限り、おばあちゃんになって亡くなった時、『あら逆だったの』となるだけですよ」と説明してくれた。


ところが、その「大きな病気」が悪影響を招いた。


3歳のころ急性虫垂炎で手術を受けることになり、入院したが、七海は内臓逆位について医師に伝え忘れた。そのまま開腹し、内臓や血管がすべて逆になっていることに執刀医が対応しきれず、手術は予想外に時間を要した。その間、ずっと麻酔を効かされていたことが徒となり、脳に障害が残った。


悔やんでも悔やみきれない凡ミス。病院側からは、事前に知らされていれば対処のしようがあったと指摘されたが、それまで元気で活動的な女の子だっただけに忘れてしまっていた。「そう多くある症例ではないので、医師も内臓逆位には不慣れです。病気の時は必ず伝えてくださいね」。産科医もそう口を酸っぱくしていたというのに。


責任感と申し訳なさから、琴美には全力で愛情を注いだ。小学校で教壇に立っていた七海は職を辞し、育児に専念。忠司も勤めていた会社に転勤はできない旨を申請し、家庭を大事にしてきた。贖罪の意識からにせよ、二人して普通以上に慈しんで育ててきたと思う。


ただ、他の障害児の親同様、そんな金井夫婦にとっても一番の悩みは琴美の将来だった。人は必ず死ぬ。忠司と七海も同様だ。その時、一人娘はどうなるのか。時が経てば経つほど、眠れぬ夜を過ごすようになった。


そんな時、同じ境遇の保護者仲間から朗報がもたらされた。七海らが住むI市の立志伝中の人物、福田禎一が、市内で就労支援施設を立ち上げるのだという。福田が社長を務める中堅ゼネコン「福田建設」が広大な土地を買い上げて農地を造成し、障害者に畑作をさせ、収穫物を地場スーパーに卸すという農福連携事業を手掛けるらしい。


七海らはこの話に、一も二もなく飛び付いた。話を教えてくれた保護者仲間と福田建設を詣で、自分たちの子弟も入所させてもらえるよう頼んだ。福田は快諾してくれた。

 

琴美はそれから、以前にも増して明るくなった。元々、障害があるとは思えないほど笑顔がチャーミングな子だったが、他人とも意思を通わせながら笑うようになった。役割を与えられ、働いて、賃金を得る。健常者という言葉はあまり用いたくないが、その健常者と同じように仕事をすることが、琴美に自信を植え付けたようだった。


「琴美ちゃん、女は愛嬌。笑って、笑って」。障害者就労支援施設「うみどり福祉会」を実質的に切り盛りしていた福田の母、君代がそう言って琴美を持ち上げたことも影響したのだろう。金井夫婦は君代や福田に足を向けて寝られないと思った。

 

内臓逆位で生まれ、七海らの失態で障害まで抱えてしまった琴美が、おそらく初めて感じたであろうささいな幸せ。それが、あの大津波で絶たれてしまった。忠司と七海は己と娘の不幸を呪わないではいられなかったが、その矛先は次第に福田に向けられるようになっていった。


混乱の中で当初は分からなかったものの、琴美を乗せた福祉会のバスは当日、津波警報が出てから海から1キロほどの福祉会に向かったと分かってきた。琴美ら入所者が地震発生時、普段農作物を収めている内陸部のスーパーで手伝いをしていたことも判明。それなのに、君代の指示でわざわざ沿岸部にバスを走らせたという。なぜ――。


考えれば考えるほど、分からない。それなのに、福田は理由を示さない。母子家庭で育ったとされる福田にとって、君代の否定はどうしても許せないことのようだった。とはいえ、こちらも生活を犠牲にして必死で育ててきた愛娘を亡くしている。君代にはもう語る口はないにしても、施設の災害マニュアルなりを提出してもらい、当日の行動を明らかにしてもらわないと気持ちが収まらない。

 

震災から1年後。七海は忠司と共に、S市にある弁護士事務所のドアをノックした。

 

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(続)

 

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