あの日を境に

巨大災害によって人生が一変した人々の群像劇

2019-11-01から1ヶ月間の記事一覧

(25)N市の寺院跡にて~江藤美智子の遍路道

合掌礼拝一礼し、山門をくぐる。四国遍路第36番札所、独鈷山青龍寺。美智子は、うっそうと茂る木々を見やりながら、なるほど、これこそが霊場だと感じ入った。お大師さまが創建なさった名刹だという縁起にも納得する。 祈願を終え、納経帳に墨書をいただ…

(24)責任感とガッツ~江藤美智子の遍路道

 江藤香織は千葉県M市の実家で、絵葉書を手にしていた。差出人は江藤美智子。もう、5年ほど顔を合わせていない義母からの一葉は例年通り、四国の何とかと言う寺の写真が添えられていた。 「もう、いいのに…」。正直なところ、香織は今後、美智子らの元…

(23)新米警察官~江藤美智子の遍路道

「義姉さん、また四国なのか」 ポストに届いた絵葉書を手に、江藤良彦はつぶやいた。兄政彦の妻美智子が差し出した私信の裏には、第何十何札所だかの甍(いらか)が映っていた。 兄夫婦はあれ以来、お遍路に凝っている。聞いていると、どうも兄はそれほど…

(22)刺激と危険の相関関係~江藤美智子の遍路道

江藤政彦は自宅の隣にある木工所で、とあるプレート作りに精を出していた。妻の美智子は一昨日から、5度目のお遍路に出掛けている。今回の作業内容は美智子には内緒だ。クリスマス商戦に備えて積み木細工を量産する必要がある、と説明してある。 higasinih…

(21)同行三人~江藤美智子の遍路道

江藤美智子は額からしたたる汗を手ぬぐいで拭きながら、空を見上げた。四国の空は快晴といっていい。何となく東北の空の色とは違うと感じる。抜けるような青とでも言おうか、ここは南国なのだと感じる時がある。10月に入ったというのに真夏のような暑さで…

(20)幕間~福田禎一の街づくり

東北(新聞)さん? いやあ、お待たせしちゃって。なに、土建屋なんてしてると、なんやかんやあるもんでね。どうも、どうも福田と申します。ほう。次長さんなんですか。吉田さん、知ってる? 御社の、営業の。あ、知らないかあ。まあ社員さん、いっぱいいる…

(19)施工企業あいさつ~福田禎一の街づくり

「したって、柿沼の話も理屈は通ってっぺよ」 福田の話を聞き、田村がいの一番に市長の見解に理解を示した。心情的には川底や漁港を浚渫するべきだとは思うが、I市にその権限はないのだから、と。これに菅野が異を唱える。 higasinihondaishinsai.hatenablo…

(18)為政者の在り方~福田禎一の街づくり

福田は、I市長の柿沼源次郎と相対していた。 市役所5階の市長応接室。政策企画課の課長補佐が津波を目撃した場所の、真下に当たる部屋だ。何やら検討も付かないが、「話があるから時間を取ってほしい」と呼び出された。 あれから5年が過ぎていた。あの…

(17)警察署長の慟哭~福田禎一の街づくり

「うみどり福祉会には、ご母堂とご子息もいらっしゃるとか。ご無事をお祈り申し上げます」。江藤が続けた。 「まだ分からんじゃないか!だいたい、母ちゃんにはさっき会った!バスには乗っとらんはずだ!」 福田は自分でも驚くほどの大音声で叫んだ。2…

(16)災害対策本部~福田禎一の街づくり

「津波、S病院くらいまで来てます!」 政策企画課の課長補佐が金切り声を上げた。I市役所きっての政策通として鳴らし、おそらく40代のうちに課長に上がるだろうともっぱらの評判だったが、危機対応には向いていないのかもしれない。緊急時にも関わらず…

(15)いつもの座席~福田禎一の街づくり

福田の母君代が最後まで生きようともがいていた頃、長男隼人はうみどり福祉会の従業員が運転するマイクロバスの中にいた。 higasinihondaishinsai.hatenablog.com I市中心部のスーパーで被災した。経営者の肝いりで、福祉会で育てた農作物を扱ってくれる…

(14)水没する街~福田禎一の街づくり

君代は慌てて玄関に駆け寄り、水没する前に外に出ようとしたが、外開きのドアは水圧のせいでピクリとも動かなかった。窓も同様に少しもスライドせず、無理に動かすとガラスが壊れる恐れもあった。 この期に及んで窓の心配も何もないものだったが、極貧生活か…

(13)気密性の弊害~福田禎一の街づくり

福田の自宅は、障害者就労支援施設「うみどり福祉会」の敷地北側に建つ。施設は、ありていに言えば長男隼人のために設立したようなものだっただけに、隼人と、実質的な運営者の母君代が通いやすいようにという配慮だった。 higasinihondaishinsai.hatenablog…

(12)農福連携~福田禎一の街づくり

福田は正直、長男隼人の世話が苦痛だった。 赤ん坊の時はまだ良かった。腹が減ったといっては泣く、おしめが濡れたといっては喚く、夜泣きする。乳児ならば当たり前だ。福田もそう思えた。 それが3歳になっても変わらず続いた。言葉も、言語らしい言語にな…

(11)立志伝中の男~福田禎一の街づくり

「母ちゃんのことを思うと、どうして、も少し早く…これ造んねがったがって…思って…」 190センチ近い巨漢が、人目もはばからず泣いた。目の前には100人を超す市民が着座し、男のスピーチに耳を傾けていた。ただ、失笑はもちろん、眉をひそめる向きも…

(10)幕間~日下洋子のウエディングドレス

あ、はい、こんにちはー。こちらこそ、よろしくお願いします。東北新聞の次長さん、なんですかー。何だか、すごい。私、記者さんの名刺なんて初めていただいたもので。うまくしゃべれるかしら。 すいません、こんな山の上までおいでいただいて。住宅のほか…

(9)福田建設~日下洋子のウエディングドレス

「あなたの家を、理想の形に福田建設」 夫の隆にキャッチフレーズ入りの名刺を差し出した男は、社名をそのまま体現したような、がっちりした体躯と福々しい顔の持ち主だった。福田禎一と名乗った。洋子と隆はN市北西部の丘陵地帯に土地を買うと、その足…

(8)49日後~日下洋子のウエディングドレス

6年が過ぎた。 不惑を数えた洋子が台所仕事に精を出していると、2人の子どもが駆け寄ってきて、膝元でじゃれ合った。まもなく5歳になる女の子と、3歳の男の子。洋服への思いは断ちがたかったが、仕事はきっぱり辞め、子育てに専念してきた。 女の子には…

(7)芳江の嫁入り~日下洋子のウエディングドレス

母の芳江は、お気に入りのワイン色のセーターを身に着けていた。「華やかで女性って感じの色じゃない?」。その色がとにかく好きで、洋服はもちろん、靴や傘、財布、キーホルダーとそろえ、出掛ける時はどれかしらを持っていったものだった。 「避難するっ…

(6)キいっちゃん~日下洋子のウエディングドレス

洋子の父、大友喜一郎は1947年、N市海沿いの漁師町に生まれた。実父は旧陸軍の所属で、集落にあった高さ約6メートルの丘の上で海を監視し、敵軍が押し寄せてこないかどうか目を光らせる仕事に就いていたが、終戦とともに闇市から仕入れた物資を転売す…

(5)大友雑貨店跡~日下洋子のウエディングドレス

かつて、そこに雑貨店が存在した。漁港に面した5000人ほどが暮らす街の「冷蔵庫」だった。 野菜も肉も、日用品も扱う言わば何でも屋だったが、漁港が近いのに魚だけは置いていなかった。理由は、ほとんどの住民が何かしらの形で漁業に関わっているような…

(4)遺体との遭遇~日下洋子とウエディングドレス

自動車専用道の上での足止めは結局、一昼夜に及んだ。海水が引かないどころか津波が第2波、第3波と立て続けに押し寄せてきたからだ。県道との立体交差付近で難を逃れた20人ほどが、肩を寄せ合うようにして寒風をしのいだ。 弱り目に祟り目とはこのこと…

(3)黒い布~日下洋子のウエディングドレス

勢い込んで飛び出したはいいものの、S市を南北に貫く大動脈、国道4号に出るまでが大変だった。考えることは皆、同じようで、会社の前の市道は国道へ入ろうとする車で常にないほどの大混雑だった。 10分、いや20分だろうか。ジリジリとする気持ちを抑…

(2)届かぬメール~日下洋子のウエディングドレス

父親とは3日後に対面できた。正確に言えば父親の遺体と、だが。 こういう時、「亡くなったとは思えないほどきれいなお顔で」なんて言葉を耳にしたことがあるが、洋子は、それが平時だからこそ言える決まり文句なのだと身をもって知った。仮設の遺体安置所…

(1)山の上の家~日下洋子のウエディングドレス

日下洋子の自宅は東北地方のN市の山の上にある。文字通り、標高210メートルの里山の上に建っている、木造2階の一般的な住宅だ。 ご近所の造りも似たり寄ったり。判を押したように木造2階建てで、車が2台置ける駐車場と、ささやかな庭がある。N市のお…