あの日を境に

巨大災害によって人生が一変した人々の群像劇

日下洋子

(10)幕間~日下洋子のウエディングドレス

あ、はい、こんにちはー。こちらこそ、よろしくお願いします。東北新聞の次長さん、なんですかー。何だか、すごい。私、記者さんの名刺なんて初めていただいたもので。うまくしゃべれるかしら。 すいません、こんな山の上までおいでいただいて。住宅のほか…

(9)福田建設~日下洋子のウエディングドレス

「あなたの家を、理想の形に福田建設」 夫の隆にキャッチフレーズ入りの名刺を差し出した男は、社名をそのまま体現したような、がっちりした体躯と福々しい顔の持ち主だった。福田禎一と名乗った。洋子と隆はN市北西部の丘陵地帯に土地を買うと、その足…

(8)49日後~日下洋子のウエディングドレス

6年が過ぎた。 不惑を数えた洋子が台所仕事に精を出していると、2人の子どもが駆け寄ってきて、膝元でじゃれ合った。まもなく5歳になる女の子と、3歳の男の子。洋服への思いは断ちがたかったが、仕事はきっぱり辞め、子育てに専念してきた。 女の子には…

(7)芳江の嫁入り~日下洋子のウエディングドレス

母の芳江は、お気に入りのワイン色のセーターを身に着けていた。「華やかで女性って感じの色じゃない?」。その色がとにかく好きで、洋服はもちろん、靴や傘、財布、キーホルダーとそろえ、出掛ける時はどれかしらを持っていったものだった。 「避難するっ…

(6)キいっちゃん~日下洋子のウエディングドレス

洋子の父、大友喜一郎は1947年、N市海沿いの漁師町に生まれた。実父は旧陸軍の所属で、集落にあった高さ約6メートルの丘の上で海を監視し、敵軍が押し寄せてこないかどうか目を光らせる仕事に就いていたが、終戦とともに闇市から仕入れた物資を転売す…

(5)大友雑貨店跡~日下洋子のウエディングドレス

かつて、そこに雑貨店が存在した。漁港に面した5000人ほどが暮らす街の「冷蔵庫」だった。 野菜も肉も、日用品も扱う言わば何でも屋だったが、漁港が近いのに魚だけは置いていなかった。理由は、ほとんどの住民が何かしらの形で漁業に関わっているような…

(4)遺体との遭遇~日下洋子とウエディングドレス

自動車専用道の上での足止めは結局、一昼夜に及んだ。海水が引かないどころか津波が第2波、第3波と立て続けに押し寄せてきたからだ。県道との立体交差付近で難を逃れた20人ほどが、肩を寄せ合うようにして寒風をしのいだ。 弱り目に祟り目とはこのこと…

(3)黒い布~日下洋子のウエディングドレス

勢い込んで飛び出したはいいものの、S市を南北に貫く大動脈、国道4号に出るまでが大変だった。考えることは皆、同じようで、会社の前の市道は国道へ入ろうとする車で常にないほどの大混雑だった。 10分、いや20分だろうか。ジリジリとする気持ちを抑…

(2)届かぬメール~日下洋子のウエディングドレス

父親とは3日後に対面できた。正確に言えば父親の遺体と、だが。 こういう時、「亡くなったとは思えないほどきれいなお顔で」なんて言葉を耳にしたことがあるが、洋子は、それが平時だからこそ言える決まり文句なのだと身をもって知った。仮設の遺体安置所…

(1)山の上の家~日下洋子のウエディングドレス

日下洋子の自宅は東北地方のN市の山の上にある。文字通り、標高210メートルの里山の上に建っている、木造2階の一般的な住宅だ。 ご近所の造りも似たり寄ったり。判を押したように木造2階建てで、車が2台置ける駐車場と、ささやかな庭がある。N市のお…