あの日を境に

巨大災害によって人生が一変した人々の群像劇

(23)新米警察官~江藤美智子の遍路道

 

「義姉さん、また四国なのか」

 

ポストに届いた絵葉書を手に、江藤良彦はつぶやいた。兄政彦の妻美智子が差し出した私信の裏には、第何十何札所だかの甍(いらか)が映っていた。

 

兄夫婦はあれ以来、お遍路に凝っている。聞いていると、どうも兄はそれほどでもないようだが、義姉は供養になると信じているようだ。あの日、犠牲になった甥、孝則の。

 

良彦にとって孝則は甥であると同時に、部下でもあった。江藤家があるK市の北、I市にあるI警察署の巡査で、良彦が所属長の署長だった。管内にある警察学校を卒業し、すぐI署の地域課に配属された。

 

孝則が警察官に憧れていたことは薄々、分かっていた。盆暮れのたびに実家に帰省すると、拳銃を撃ったことがあるかとか、犯人にはカツ丼を出すのかなど、テレビドラマの影響を受けたのであろう質問を浴びせてきた。「カツ丼は被疑者が自分で注文するもんだ。拳銃は上に五円玉を置き、反動で落とさないように撃つ訓練をやったりする」。それらしく語ってやると、目を輝かせていた。

 

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孝則はいったん、兄の後を継いで木工職人となった。根が優しいので、斜陽著しい生家を支えたかったのだろうが、子どもの頃からの憧れは消せなかったのだろう。数年して、転職の相談を持ち掛けてくるようになった。兄には悪いと思ったが、将来ある甥を家業の人柱にするのは忍びなく、何くれとなく諭してやった。

 

結果、採用試験は見事に合格。薹(とう)は立っていたが、体育大出で運動能力に秀でていたこともあり、警察学校も優秀な成績で終えた。将来を嘱望されていたと言っていい。まあ、半分以上は幹部警察官だった良彦の身内として注目されていたのだろうが。

 

卒配の1年後、良彦が所属長となった。県警内部では身贔屓を揶揄する向きもあったので、良彦は気を引き締めて赴任しものだが、孝則はそうした空気も読まず、署長室に出入りしては生まれたばかりの子ども自慢を繰り返した。

 

 通常、新米が署長室を頻繁に訪れるなどあり得ない。民間の空気を吸ってから奉職したという、異色の経歴も大きく影響していたのだろう。来るたびに職制をわきまえるよう叱責したものだが、子どもの成長が見られるたびに懲りずにやって来ては、前室に控える副署長にまでにやけ顔を見せた。もとより甥のこと、そんな孝則が憎めず、良彦も表向きは呆れたそぶりを見せつつ、楽しんでいた。

 

そんな日常を、東日本大震災が一変させた。

 

警察官を拝命した以上、厳しい現場に遭遇することは多々ある。毎日のように新聞にベタ記事が載る交通事故だって、現場には血潮が飛び散り、手脚があらぬ方向に曲がった被害者を目の当たりにすることもある。殺人などの強行犯事件ならなおさらだが、そんな警察にも格言めいた言い習わしはあった。「災害は別格」。言葉通り、良彦たちは突然にして緊急事態に放り込まれた。

 

いつものように署長室に座っていると、体が持ち上げられるような縦揺れが来た。次いで、庁舎が壊れるのではないかと思うほどの横揺れ。恒常的に予算不足の警察のことだ、良彦は倒壊を避けて築50年になんなんとする署を早々に飛び出し、駐車場で指揮を執った。生活安全課には行政機関との連携、刑事課には発生事案対応、留置管理課には代用監獄にいる被疑者への対応、地域、交通両課には避難誘導や警戒を指示した。

 

いくらもしないうちに、テレビが緊急速報に切り替わった。県沿岸部に6メートルの津波警報が出たという。最悪の事態を想定し、副署長に沿岸部へと向かった署員を把握するよう伝えた。「地域課員22名、PC(パトカー)にてI市沿岸部、主に集落近辺を警邏中」。いつも冷静な副署長が淡々と報告した30分後のことだった。テレビ画面に、沿岸部を覆う真っ黒な津波が映し出された。

 

「22名中、6名と連絡が取れません!」。数分して副署長が駆け寄って来た。若い時分から付き合いは長いが、良彦はこの男が取り乱すのを初めて見た。「署長!うち1人は孝則です!」。良彦は胃の辺りがスッと冷え込むような感覚を味わった。

 

(続)

 

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