あの日を境に

巨大災害によって人生が一変した人々の群像劇

(24)責任感とガッツ~江藤美智子の遍路道

江藤香織は千葉県M市の実家で、絵葉書を手にしていた。差出人は江藤美智子。もう、5年ほど顔を合わせていない義母からの一葉は例年通り、四国の何とかと言う寺の写真が添えられていた。

 

「もう、いいのに…」。正直なところ、香織は今後、美智子らの元に戻る気はない。あの震災が夫孝則の命を奪って以降、江藤家とは疎遠だ。当初は余震や、原発事故による放射性物質が息子涼太に与える影響などを挙げて実家に戻ったが、夫という鎹(かすがい)を失ったことによる距離感は埋めようもなかった。

 

「ただいまー」。小学2年になった涼太が元気いっぱい、学校から実家へと駆け込んできた。そしてすぐ、近所にある消防分署へと飛び出していく。涼太の今のお気に入りは消防車の出動シーンだ。突然にして帰らぬ人となった孝則への思いが消えることなどあり得ないが、自分たちはもう、東北のK市ではなく、ここに足場があるのだ。

 

「実は孝則の行方が分からない。津波が来るので避難誘導に出て行ったまま、消息が途絶えた」

 

あの大地震の翌日、K市の北にあるI市の官舎に住んでいた香織は、差し入れを持って訪れた孝則の勤務先、I警察署で義理の伯父の良彦にそう告げられた。確かに、とてつもない揺れではあったが、孝則の普段の詰め所は内陸部の交番だ。津波に呑まれる可能性など念頭になかった香織は思考が停止し、その場にへたり込んだ。

 

俗に「警察一家」と揶揄されるように、警察組織の横のつながりは非常に強固だ。災害時に限らず、大事故や長期にわたる事件捜査の場合、署の上階にある道場などで寝起きする夫のため、奥さん連中が着替えや差し入れを持ち寄るのが慣例だった。今回もそれに倣って、おにぎりを持ってきただけだった。

 

部下の、甥の生死が分からないと、何も知らないでいる配偶者に伝える辛さ。良彦が、おそらく一睡もしていないであろう青白い顔のまま、言葉を絞り出したのが分かった。1歳になったばかりで、背に負われた涼太が泣き叫ぶ声ばかりが署内に響いた。副署長さんに警務課長さん、孝則の直属の上司に当たる地域課長さん。同じ官舎に住む見知った顔は皆、うつむいたままだった。

 

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孝則はさらに翌日になって、沿岸部にある空港近くの民家の敷地で見つかった。オレンジ色の誘導棒を握り締めたまま、泥の中にうつぶせで倒れていたという。近くには、もう1人の同僚と一緒に乗っていたパトカーが残されていた。

 

「車を降りて、付近の家屋に残っている住民がいないかどうか、探し回っていたんだろう。責任感とガッツのある奴だった」

 

褒め言葉なんていらないから孝則を返してほしい。香織には、地域課長の言葉が虚しく響いた。

 

 結婚して10年、ようやく授かった息子は、まだ言葉も話せない。これから「パパ」としゃべりだすのを喜び、手をつないで公園を歩き、ランドセルを背負って入学式に出る姿をビデオに収め、海や山でいっぱい遊ぶはずだった。無責任とそしられていい、無気力と非難されたって構わない。そんな、親としてのたわいもない望みを、叶えさせてよ。どうして津波が来ると分かったのに、引き返させなかったのよーー。

 

警察官である夫が亡くなった以上、警察官舎に住み続けることはできない。混乱の極みにあった被災地での手続きに手間取りはしたが、香織は半年ほどして、幼な子を抱いて実家に身を寄せた。美智子らはK市に戻るよう提案してくれたが、その気にはなれなかった。「こちらは心配事が尽きないし、思い出も多すぎるので…」。そう告げて、差し伸べられた手を拒んだ。

 

それから半年もしない頃だった。お遍路に出たという、美智子からの絵葉書が届くようになった。

 

(続)

 

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