あの日を境に

巨大災害によって人生が一変した人々の群像劇

(48)家族3人行方不明~木下俊道の落慶法要

 

 どの道を通ってN市に戻ったのか、正直なところ今でも思い出せない。覚えているのは愛車ムーブのタイヤが奏でるスキール音だけだ。途中、カーブを何度も異常な勢いで曲がったからだろう。幹線道路は渋滞でどうにもならないと見切りをつけ、地元の強みを生かして裏通りだけを走り抜けた。

 

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 本来ならば海沿いを走る県道を行くのが近道と思えたが、あの道の海からの距離は2キロ前後と近い。津波をかぶって使い物にならないだろうと考え、S市からN市に南下する国道4号を避けながら路地裏を急いだ。この高架を越えれば沿岸部が見えてくるというところで、警察が道をふさいでいた。

 

 「この先は津波が再び押し寄せる危険があります」。木下は自宅が海沿いにあること、妻から息子の姿が見えないと言われたことを告げたが、警察官の対応は同じだった。あなたが二次被害を受ける恐れが高い、奥さんから電話があったのならば、近くの避難所にいるということだから、そちらに行くように、とのことだった。

 

 不承不承、避難所に指定されている小学校へと車を向けると、そこはそこで戦場と化していた。脱ぎ散らかされた靴。家族や知り合いごとに集まって体温で暖を取る住民。腹が空いたと泣き叫ぶ幼児。ディズニーランドかと見間違うほど長い行列ができた女子トイレ。ほとんどが顔見知りという人の波を縫って歩き、木下は妻の真智子を探したが、見当たらない。再び焦りが募る。もしや、検問をすり抜けて寺に戻ったのか――。嫌な想像が頭をよぎった時、檀信徒の一人が声を掛けてくれた。真智子は避難所に入りきれず、駐車場に止めた車内にいるという。

 

 全速力で駐車場に走る。こんな時、僧侶の正装の一つ、雪駄はもどかしい。折からの寒さもあって足先がかじかむ。ようやく真智子の愛車、マーチを見つけて乗り込むと、車内の暖かさが身に染みた。「ようやぐ見っけだど。避難所はえれえ混み具合だなや」。軽口をたたいたが、真智子は放心状態だった。

 

 「なじょすた?」。肩を揺すると、ぼそぼそとしゃべり始めた。自分が俊大を殺したようなものだ、地震後に後片付けをしていて気が回らなかった。最後に見た時はいつもと同じく、寺の敷地の一角にある池でザリガニをつついて遊んでいた。頑丈で安心だと思って避難してきた檀家の相手をしていたのも悪かった。そのうちにN市役所の広報車が回ってきて、津波が来るから避難所に向かうように伝えてきた。高齢の檀信徒をマーチに乗せて送迎し、戻ろうとしたところに津波が来た――。要約すると、そんなところのようだった。

 

 海にほど近い土地にある道応寺。高さ数メートルもの津波が襲来したならば、そこにいた人間は助からないだろう。わずか5歳の子どもならば、なおさらだ。決して口には出さなかったものの、道々、そんな悪い想像を巡らしてきた木下からすれば、まさに最悪のシナリオ通りだった。

 

 悪い話はさらに続く。俊大だけでなく、父親と母親の姿も見えないのだという。「私、私、自分だけ…」。後は嗚咽になって聞き取れなかったが、木下が来るまでの間、自分を責め抜いたことはよく分かった。肩を抱くことしかできない自分がもどかしく、早く夜が明けて自宅の様子を見に行けるようにならないものかと身をよじらせた。

 

 自宅が大津波に襲われ、一粒種と両親の行方が分からない――。木下と真智子は悪い想像だけを膨らませ、そのまま一睡もできずに車内で夜を明かした。

 

 しかし、待ち望んだ日の光は、想像以上にむごたらしい光景を二人にさらした。

 

 寺が、なかった。

 

(続)

 

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