あの日を境に

巨大災害によって人生が一変した人々の群像劇

(38)募る疑問~金井七海の法廷闘争

 

 洗い終えた食器を流しの上に置き、拭き上げ用のタオルを手に取った。金井七海は夕食の後片付けをしながら、見るともなしにテレビ画面を眺めていた。

 

 本来、後片付けは夫の忠司の担当だ。いや、洗ってはくれる。だが、ステーキを載せた皿も、ナイフやフォークにも、肉の脂がこびり付いたままだった。七海はこれが嫌で、毎度洗い直す。忠司はそれが不満のようだが、あのろうそくのような白い物体が付着したままだなんて耐えられない。忠司は自らのずさんさこそ反省すべきだろう。

 

 浴室の方からお風呂用のミニテレビの音が聞こえる。どうやら忠司も、湯船に漬かりながらテレビを見ているらしい。台所から見えるダイニングのテレビと同じく、夕方のニュース番組のようだ。それはそうだろう。今日は午前中、忠司と七海が原告として名を連ねた訴訟があった。

 

 地方局の男性アナウンサーが概要を読み上げる。「今日午前、S地方裁判所東日本大震災の犠牲者の遺族が起こした訴訟の第一回口頭弁論が開かれました」。画面が切り替わり、S地裁が映し出される。地裁脇の歩道を歩く弁護士と、その後ろに並ぶ大勢の遺族。その中に、忠司と七海の姿もあった。総勢40人ほどの一団が遺影を手に行進し、地裁構内へと入っていく様子が流れた。

 

 「訴えを起こしたのは、震災の津波で流されたバスに乗っていた障害者の両親らで、バスを運行した障害者就労支援施設『うみどり福祉会』と理事長を相手取り、安全配慮義務を怠ったなどとして損害賠償を求めています」

 

 七海たちの訴訟は今夜のトップニュースの扱いで、法廷の画面や閉廷後の記者会見の様子も用い、長々と流された。うみどり福祉会の理事長は福田禎一。七海らが住むI市の市長選に名乗りを上げている建設会社の社長でもある。津波犠牲者の遺族vs市長候補ーー。マスコミが小躍りしそうなネタだ。最後は、うみどり福祉会側の言い分がたっぷり取り上げられた。

 

 「うみどり福祉会と福田氏の代理人弁護士は、大津波の襲来を予見することは困難だったなどとして、請求の棄却を求めています。なお、福田氏は次期I市長選への立候補を予定しており、訴訟と選挙は無関係だと主張しています」

 

 まあ、責任を否定するだろうことは分かっていた。何にせよ、これからだ。七海は、必ずや一人娘だった琴美の無念を晴らしてやろうと、別のニュースに切り替わった画面を凝視しながら、あらためて誓った。

 

 琴美は震災当時、18歳。軽度の知的障害があったとはいえ、目鼻立ちの整ったかわいらしい少女だった。口を開かなければ障害があるとは分からないくらいで、よく笑う子だったことから、周りからも愛されていた。

 

 正直なところ、七海は震災があるまで、福田に感謝していた。障害を抱えた子の将来は、親ならば誰でも悩む一大事だ。特に、働き口が少ない地方都市ならば、なおさらだ。県庁所在地のS市に近いとはいえ、基幹産業も何もないベッドタウンのI市に、障害者を雇ってくれる奇特な事業所などありはしなかった。

 

 そこに、男気だけで福祉会を設立し、農作業に従事させ、作物を売って工賃とする仕組みを作ってくれた福田。自身の長男も障害者だったので、その長男のためだろうことは皆、分かっていたが、初めて賃金を得て微笑む我が子に親たちは涙した。「福田さん、ありがとな」。賛辞を惜しまなかった。

 

 震災がすべてを暗転させた。地震後に外部から福祉会までバスで戻ったという琴美ら。運転手は福祉会近くまで来て津波を目の当たりにし、Uターンしたようだが、時すでに遅く、巻き込まれて溺死した。

 

 「内陸部のスーパーにいたのに、なぜ戻ったの。津波警報が出ていると分かっていたのに、どうして海辺にある福祉会に向かったの」

 

 福祉会に戻るよう指示したとされる福田の母、君代ももう、津波に呑み込まれてこの世の人ではない。君代の指示の理由を問うと、福田は頑なになった。「なにや、うちの母ちゃんが悪いってが? 母ちゃんも死んだんだど!」。違う。誰が悪いかではない。慈しんで育てた子が、死なねばならなかった理由が知りたいだけだ。娘の最期を教えてほしいだけだ。

 

 どうしてあの子が犠牲になったのか、七海は訴訟で明らかにする覚悟だった。

 

(続)

 

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