あの日を境に

巨大災害によって人生が一変した人々の群像劇

(34)遺体安置所へ~氏家悠吾の奉職

 

 S町は高台を中心に、いくつかの集落が沿岸部に点在する。寄り集まっていた方が何かと都合が良いのだろうが、海沿いには硬い岩盤の峰がいくつもあり、その峰を避ける形で低地に家々が建てられていた。

 

 津波はこの峰々までは砕けなかったようで、地形が変わることはなかったが、そのため峰々のふもとには大量の津波堆積物があった。住宅のがれき、なぎ倒された樹木、車などが流されてきて、津波が引くとともに、その場に残された格好だ。

 

 惣一とカツは、そうした車の下で見つかった。発見した警察官が、被災車両の撤去に当たっていた県に連絡し、車をどけてもらう手続きを取ってくれた。氏家にはどういう原理なのか分からなかったが、打ち寄せられた車が波の力で縦に積み上げられたようになっているところもあり、そのままでは崩れる恐れもあって、一度車を脇に避ける必要があった。

 

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 遺体発見の翌日、県職員が現地にやって来た。どこかの都道府県だかの応援で寄越されたというレッカー用の重機を持ってきていて、クレーンの先にマジックハンドのような巨大な治具が据え付けられていた。運転手がクレーンを操作し、慎重に車を持ち上げていく。1台、2台、3台目をどけたところで、惣一たちの背中が見えた。

 

 氏家が父と一緒に駆け寄る。話に聞いていた通り、二人は折り重なるようにして一緒にいて、氏家は再び目頭が熱くなった。

 

 惣一は多くを語る男ではなかったが、氏家が中学に上がり、好きな女子生徒ができたことを打ち明けると、カツが惣一との馴れ初めを話してくれたことがある。

 

 今と違って世界がまだ狭かった時代のこと。二人は峰を挟んで隣り合う集落に生まれたが、年齢が七つ離れていたこともあって、学童として出会うことはなかった。そんな二人の初対面は考えうる限り、最悪だった。カツが15歳になった頃、家の手伝いで隣の集落ーー惣一が住む集落の親戚宅を訪ねた際のことだったという。

 

 12月に入り、雪が積もった寒い朝だった。カツが隣の集落から峰を登ってきて、親戚側の集落へと降りていくらも歩かないうちに、急に足が沈んだ。道路端にあった肥溜めを踏み抜いてしまったのだ。通常、肥溜めの上には、それと分かるトタン製の傘が掛けてあるものだが、この日は雪の重みで倒れており、辺り一面真っ白になっていたこともあって道路かどうか分からなくなっていたのだ。

 

 肥溜めなど見掛けない現代では理解できないことだが、当時はままあったことだそうだ。幸運なことに右足だけで済んだそうだが、うら若い乙女が御遣いの途中に糞尿の臭いを撒き散らすことは耐えられなかろう。カツが誰にも出会わないうちに退散しようとしたところに、早朝の漁を終えて海から上がってきた惣一と出くわした。

 

 惣一、当時22歳。男ぶりもよかったそうで、そんな若衆に羞恥の極みとも言える場面を見られたことでカツはしゃがみ込んでしまった。一目見て状況を察した惣一は、カツの手を引いて海辺へと取って返し、自分の舟に乗せてあった手桶で海水をすくって汚物を洗い流してやった。当時は漁の後に薪をくべ、暖を取る習慣もあったことから、燃えさしに再び火をつけ、かじかんだ右足を温めてやったという。

 

 その間、惣一は無言だった。それが逆にカツの心に響いたようで、何も言わずに恥部をなかったことにしてくれる男気に惚れ、以後、暇を見つけては隣の集落に顔を出すようになっていった。

 

 「あいなんでは、何しゃべったって、傷つけっぺ」。惣一は氏家が話を向けても、それ以上を語らなかったが、口数が多ければいいというものではないと学んだ。むしろ、黙して語らず、結果で示す男になりたいと思ったものだ。

 

 その惣一が、カツと一緒に変わり果てた姿で見つかった。氏家が見た、あの津波の黒さは海底から巻き上げられた泥が原因だったのか、二人は髪の毛から爪先まで泥だらけだった。一緒に流された物で傷ついたとみられ、擦過傷も至る所にあった。

 

 次から次へと涙があふれてくる。人は悲しいと、声もなく、涙だけが流れ出る。傍らにいた父も同様で、辺りには鼻をすすり上げる音だけが響いた。駆けつけてくれた県職員も、車を持ち上げてくれた業者も、もらい泣きしていた。

 

 「お気持ち、お察ししますが、ここは冷えます。仏さんも、ここじゃ浮かばれない」。見守っていた警察官が、氏家と父に声を掛けた。遺体安置所に運ぼうと提案する。むろん、否やはなかった。

 

 この遺体安置所で、氏家は人生を左右する人物に出会った。

 

(続)

 

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